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2008年6月

2008年6月22日 (日)

コンビニの深夜営業規制をするのなら・・・

 京都などの地方自治体がCO2削減対策として、コンビニの深夜営業に規制を検討しているという。確かにコンビニが一晩中、営業しているのは環境に悪影響という意見はあるのかもしれないけれど、深夜営業をしている業種なんてたくさんあるのにコンビニだけに規制をかけるのはどうかと思う。

 今や小さい子供まで、夜10時以降でも出歩いているのを見かけることもある。誰もが24時間活動するような時代になってしまったのかもしれない。でもそれはコンビニだけのせいではないはずだ。だいたい規制をかけたところでどれだけCO2の排出量が減るのか。もはやイジメの一種みたいだ。やるのなら各業種、平等に負担をかけるべきだ。それこそ環境税という形で規制をかけてもいいのではないだろうか。

 昨今の異常気象ともいえる現象は素人の自分でも地球温暖化がその背景にあるのではないかと思える。環境問題を無視することはできない。このままの状況を放置すれば人類滅亡なんていうSFの世界が現実味を帯びてしまいかねないからだ。少しぐらいの不便は仕方ないとさえ思う。

 ただ、残念ながら、今もっともCO2を排出しているアメリカや著しい経済発展を遂げている中国もこの件については消極的だ。自分達の利益を最優先に考えているようにさえ思えてしまう。まあ、いくらEUや日本が頑張ったところで、この2大国が率先して環境問題に取り組まなければ何も解決しないことは目に見えている。日本としてはコンビニ云々の前にこちらを動かす方が先なのではないか。

 

2008年6月20日 (金)

物価高にうんざりだ。

 ちょっと最近、倦怠感が出てブログを書く間隔が空いてしまった。書きたいことはあるのだが、なかなか考えがまとまらない。もっとも今までの文章もちゃんと、まとまっていたかと言えば、そうではないのだけれど。(笑)

 先日、スタンドでガソリンを入れた。いつもはカードを使ってしまうのであまり感じなかったのだが、一度給油して、1万円でお釣りがこないとショックを受ける。ガソリンだけではない、もう何もかもが値上がりしているような感覚に見舞われるのだ。原油相場は昨年末まで1バレル当たり100ドルを超えるかどうかなんて言っていたのに、半年経ったら、今度は150ドル超えは当たり前で年末には200ドル超えなんていうことまで言われている。そうなったら、リッター250円ぐらいになっちゃうのだろうか。(怖)

 今の世界的な物価高の元凶は原油相場の高騰からきているらしいけど、このまま黙って指を加えて見ているだけで良いのだろうか。何とかする方法はないのか。原油が高騰すれば企業業績は悪化し株価が下がる、そうなると株を売った金はまた原油や穀物に流れる。。もうこの悪循環しかないような気がするのだ。結局、一時は金で金を増やす連中だけが潤うことになる。ただそれも長くは続かないのだろうけど。

 我々一般庶民はもうどうすることも出来ない。投資ファンドを非難したところで、ひょっとしたら自分達の銀行預金や保険、年金資金がそうしたファンドで運用されているかもしれないのだから、自分で自分の首を絞めるようなものなのだ。何かこんなことばかりを書いていると暗澹たる気持ちになってしまう。来月のサミットではこうした状況を改善すべく、少しは明るい未来を提供してくれるような話し合いをして欲しいものだ。

 

2008年6月13日 (金)

何が人の良心を奪ったのか。        (秋葉原通り魔殺傷事件)

 6月8日に起こった秋葉原通り魔殺傷事件、この5日間、いろいろなことをずっと考えてしまった。この男の犯行は絶対に許されることではないし極刑にしか値しない。何も罪のない人が命を断たれたり、傷害を負わされたりすることを誰が許すだろうか。ただ、犯人の携帯サイトへの書き込みなどから、今回の事件は今、日本のおかれている社会が如何に病んでいるかをあらためて感じさせた。

 特に昨今よく言われる「勝ち組、負け組」などの風潮はそれに拍車をかけているのかもしれない。国は強者はさらに強く、弱者はより弱くなるような政策を実行する。マスコミはセレブやイケメンをあたかも世の勝者のように取り上げもてはやす。しかも一度負け組になってしまうとなかなか這い上がれない。努力すれば必ず報われるという時代ではなくなってしまったのだ。そして将来に悲観して自殺する人だって9年連続で3万人を越えているという異常な状況が続いている。こうした社会の歪がこの事件の根底に潜んでいることは間違いない。

 誰だって生い立ちや今置かれている境遇といったようなもので、将来を悲観したり、絶望したり、時には自暴自棄になることはある。もちろん孤独感を深めて自殺を考えてしまうことだってあるだろう。そのために社会環境に恨みを持つこともある。 私自身、この男の恐れる「中年、独身、6畳一間暮らし、将来は不透明」を地で行くのだから、少なからず世の不条理を常に感じているのだ。それでもほとんどの人がそうであるように、人としての最低限の良心があるから一線は越えられない。

 この男だってこの良心がもともと無かった訳ではないと思う。だから何がそれを壊してしまったのかをちゃんと分析し、対策が取られなければ、いつまでたってもこのような卑劣な犯罪はなくならないと思う。最後に亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に今、病床にある方の一刻も早い回復を願う。 

 

 

 

 

 

 

2008年6月 7日 (土)

やはり魔法の水着なのだろうか。

 昨日、今日、行われた競泳の五輪壮行試合で、スピード社の水着を着た選手が日本新記録を連発している。ほとんどの選手がまだ調整段階にも関わらず、これほどの成績を残すのはやはり水着の効果が大きいということなのだろう。

 ”今年に入って競泳で世界新記録を出している選手の大半がスピード社の水着を着用していた”というニュースは4月頃から話題にのぼるようになった。そして、”日本水泳連盟はアシックス、デサント、ミズノの3社とだけしか水着の契約をしておらず、この魔法のような水着を日本選手が着用出来ないのは不利なのではないか”という論争が起こった。そこで3社に対して、スピード社に対抗することが出来る水着の開発を急遽依頼したのだが、それが叶うことはないという結果になった。

 気の毒なのは選手達だ。今まではこれほどまでに水着に注目されることはなかった。すでに多くのスポンサーを抱えてしまっている以上、なかなかスピード社の水着を着用することは出来ないのに、この水着に関することばかりのコメントを求められる。北島選手などは【泳ぐのは僕だ】とプリントされているTシャツを着て登場するぐらいだから、相当、憤慨しているに違いない。でも彼自身今回の大会でスピード社の水着を着用し、2つの日本新記録を出してしまったのだから、心中穏やかではないだろう。

 結局、日本水泳連盟は今回の結果を見て、スピード社の水着着用を認めるようである。ただ個人的にメーカーと契約している選手はどうなるかは微妙なところだが、4年間の努力を水着の優劣で決められては堪らないから、今、一番良いとされるものを使用して、悔いの残らないように闘って欲しいものだ。

2008年6月 5日 (木)

今度は本気か?サマータイム導入。

 ジョギングを再開して10日経った。3ヶ月強走っていなかっただけでこんなに体が重く感じられるのかと思うくらい辛い。ゆっくりとしか走れないのにたった1kmがとても長く感じ、息はゼィゼィしている。何とか6kmぐらいまで走れるようになったものの、前の感覚だとまるで20kmぐらい走ったかのようだ。まあ、コンスタントに10km走れるようになるまでは辛く厳しい日々が続くのだろう。

 話は変わるが、超党派の議員連盟が来年からサマータイムを導入しようとこの秋にも法案を提出するというニュースを聞いた。環境対策として毎年のように浮んでは消えていたが、環境問題を大きく取り上げる来月の洞爺湖サミットを見越して、福田首相も前向きのようだ。

 でも私は日本人には向かないと思う。確かに勤務時間がちゃんと守られる業種ばかりなら問題ないだろうが、日本の場合はサービス残業が横行していて、終業時間なんてあってないようなものだ。これを労働基準監督局がちゃんと取り締まれるならまだいい。だけどそれが無理なことは明白だ。そうなると合法的に1時間早出勤務することになるのではないだろうか。

 今でさえ過労死が社会問題になっているのにそれに輪をかける結果になりそうな気がする。たかが1時間というが、睡眠のリズムだって崩れるから体調不良を起こす人も増える。それと欧米の場合はあらかじめプログラムに組み込まれているのかもしれないが、このコンピュータ社会で一時的にも時間を変更するのにかかるコストは馬鹿にならないんじゃないだろうか。

 後期高齢者医療制度とか道路問題などをみても、政府や官僚は自分達に都合の良いデータだけを持ちよって、政策をすすめているような気がしてならない。サマータイムも欧米諸国に対するポーズに過ぎないのではないか。サマータイムを実施するなら、独立した第三者機関がちゃんと調査して、メリット、デメリットを提示した上で、国民の同意を取って欲しい。

2008年6月 1日 (日)

鮎釣りの思い出

 6月1日と言えば、鮎釣り解禁の日だ。今では静岡の興津川や狩野川などでは5月中旬から解禁されているが、やはり自分の中では今日なのである。中学生の頃にはこの日がとても待ち遠しかった。日の出1時間前が解禁時刻なので、3時半頃起きて、自転車で近くの川に向うのだ。

 4時頃には現場に着くのだがさすがにまだ暗い。しかし、昨夜から場所取りをしている人が多くて、まだ中学生の自分が良い場所にはなかなか入っていけない。ようやく空が白みはじめた時、だれかれともなく釣竿が振られ始めるのだ。

 今は禁止になっているけれど、自分がやっていた釣り方はシャクリ釣り(別名コロガシ)というもので、錘の先に錨のような釣針を10本ぐらい付け川の中を引きづり、鮎を引っ掛けるのだ。上手く行けば同時に2匹掛かることもある。こんな釣り方だから鮎以外にも連れてしまうのだが、鮎が釣れた時とそれ以外の魚では引き方があきらかに違う。その感触が堪らない魅力なのだ。多いときには学校に行く前の2時間ぐらいで15匹ぐらい釣れたこともあった。

 そんな釣りキチだった自分だが高校に入ってスキーに魅了されてから、もう30年ぐらい釣竿を握っていない。それでも6月1日という日は当時のことを鮮明に思い出せる特別な日なのだ。今日、私がジョギングをしているサイクリングコースの隣を流れている川でも鮎釣りをしている人が多く見られた。ただ当時と比べて活気がないように思えるのはなぜなのだろうか。鮎釣りに心ときめくものがなくなってしまったからなのかもしれない。

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