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2008年12月

2008年12月31日 (水)

レコード大賞は時代遅れなんじゃないか?

 2008年、大晦日。今年は私にとって大変厳しい一年だった。昨年暮れから微妙に体調を崩した。とにかく疲労感が抜けず気力が湧かなかったのだ。いろいろ病院にも行ったけど、結局、原因は分からずじまい。何とか東京マラソンだけはゴール出来たけど、その後、痛風と腰痛のダブルパンチにも襲われた。そして、年末には可愛がっていた愛猫を事故で亡くしてしまった。もう悪いことは出尽くしたと思いたいものだ。(笑) 

 ところで、いつの間にかレコード大賞が大晦日ではなく30日になったんだな。もっともかれこれ10年ぐらいまともに観たことはなかったので仕方ない。そして私も歳をとったのか、満足に聞いたこともない曲が受賞していた。そればかりかノミネートされた曲でさえ、2、3曲しか知らない。そもそもレコード大賞なんていうのはその年を代表する曲なのだから、誰もが知っているものでないとおかしいと感じるのは自分だけなのだろうか?

 純真だった子供の頃はあまり意識しなかったが、大人になるにつれて、何となくだが、所属事務所やレコード会社の事情が大きく左右されていることに気付いた。それからあまり観ることはなくなったのだった。そして昨今は音楽ジャンルが多岐に渡るので、誰もが知っている、納得できるという作品が少なくなってしまった。また音楽もCDからネット配信へと流れが変わって、本当に流行っている曲は何なのかが素人には判断できなくなった。もはや基準のはっきりしないレコード大賞なんて時代遅れの産物のような気がしてならない。

 

2008年12月24日 (水)

【映画】「野生の証明」

 先日、30年ぐらい前の映画「野生の証明」を観た。この映画はかなり好きでもうかれこれ10回近く観ているかもしれない。私自身は原作を上回る映画だと思っている。そして、主題歌「戦士の休息」にも凄く胸に染みるのだ。出来れば映画館で観たかった。

 今、考えてみても凄いキャストだ。主演の高倉健を筆頭に、三國連太郎、丹波哲郎、松方弘樹、夏八木勲、田村高広、梅宮辰夫、中野良子など数え上げると大変だが、よくこれだけの役者を集められたかと思うくらいだ。そして新人の薬師丸ひろ子が初々しい。

 何と言っても、高倉健がメチャクチャ恰好良い。過酷な訓練中、自分を助けてくれながら不運な惨劇に巻き込まれてしまった女性の妹を守るため、地方の巨大組織に立ち向かっていく。そして様々な嫌がらせや妨害に遭いながら、真摯な姿勢を貫く主人公にすっかり感情移入してしまう。

 一見、温厚でありながら、秘めたる能力を隠しつづける男。だが、その人を守れなくなった時、その野生が目覚める。しかし、それは自分の犯した過ちを、娘として育てているあの惨劇で生き残った少女に思い出させてしまうのだ。男の表情がとても悲しく見える。

 そして、原作にはない過酷な戦いが始まる。DVDで観てもかなり迫力がある。凄まじい銃撃戦だ。手に汗を握るものの悲しい結末に涙が溢れる。無償の愛が伝わってくるからかもしれない。この映画には男の美学というものがあるように思えてならないのだ。恥ずかしながら、何度観ても、その生き方に憧れてしまうのは私が単純だからなのだろう。

2008年12月22日 (月)

「百年に一度の危機」にこれでいいの?

 「北斗の拳」のケンシロウには『おまえはもう死んでいる』という決め台詞があるけれど、今の日本の状況にも言えるかもしれない。大体、「百年に一度の危機」なんて言っておいて、何故、今、消費税値上げの時期がどうのこうので揉めているのか?財務省原案も出たようだけど、これがこの危機に対応できるものなのか?はなはだ疑問だ。

 そりゃあ、今回の経済危機の発端はアメリカだったけれど、ここまで外需依存にしてしまった責任はやはり政府・与党にあったはずだ。構造改革という言葉の響きは良かったが、国民に痛みを押し付けるだけで、肝心の政官業の癒着構造は一向に改革されなかった。特に独立行政法人を始めとする、公益法人なんてほとんど手がついていない。天下りのやり放題、無駄使いし放題は何ら変わっていないじゃないか。このままの状況が続けば、公務員だけが生き残って、他は奴隷みたいなことになるかもしれない。(笑) 

 私自身はもう明治維新級に国の仕組みを変えるしかないと思っている。何かの本で読んだが、基本的には現在の中央集権国家から地方分権国家に変えないと、現在の高コスト体質は治らないだろう。国はマクロ的なこと(外交、防衛、警察、経済戦略等)をやり、その他のことは地方に任せるようにすればいいのではないか。「百年に一度の危機」というなら、我々に明確なビジョンを見せてもらえないと、その不安は拭えないのではないだろうか。

 

2008年12月17日 (水)

映画「ウォーリー」

 この1週間、新聞やニュース番組は不況関連のことばかりだ。だけど、まだ序の口に過ぎないのだろう。歴史の教科書でしか見たことのなかった「大恐慌」という状態が始まりつつあるのかと思うと気分が滅入ってしまった。そこで、気分を変えようとディズニー映画「ウォーリー」を観てきた。

 40半ばのおっさんが独りでこんな映画を観るのは恥ずかしいのだが、予告編で惹かれてしまったのだ。始まってすぐ、まるで実写?とも思えるほどの映像技術に驚かされた。そして、ゴミ処理ロボットウォーリーのコミカルな動きに親近感を覚え、黙々と働く姿にはちょっと切なく感じてしまう。ゴキブリが一匹いるけれど、700年間独りぼっちが妙に伝わるのだ。

 そこへ登場する最新型?ロボットのイブ。一見乱暴者だ。たちまちウォーリーは惹かれてしまうのだが、その仕草がまるで人間のようで面白い。そんなイブだけど、物語が進むにつれて、だんだん可愛くみえてくるからとても不思議なのだ。一見ありきたりな話なのだが人類に対する警鐘とも取れる。何より描かれている人間の醜い姿に愕然とする。怠け者以外の何者でもない。

 それでも最後には希望を持たせるラストで終わるのが、ディズニー映画の良いところなのかもしれない。私にとっては多少なりとも気分転換になったようだ。

 

2008年12月 8日 (月)

麻生内閣の支持率急落

 昨夜来、各メディアから最新の世論調査が公表されたが、麻生内閣の支持率は軒並み21~25%という危険水域に急落してしまった。何かミラクルな出来事でもないと復活は難しいだろう。

 考えてみれば、昨年の参院選で安倍内閣が惨敗したことで、もう誰が総裁をやったところで政権運営は厳しいことは目に見えていたはずだ。その後の福田さんだって”貧乏くじ”みたいな発言をしていた。自民党の国会議員の多くは、国民の為云々などと講釈を述べたところで、結局は次の選挙の時、誰が顔になれば良いかぐらいにしか考えてないのかもしれない。

 そういう意味では麻生さんは気の毒だ。まだ発足して2ヶ月ちょっと、あれだけ派手に総裁選をやっておいて、もう麻生降ろしみたいな流れになってきている。そして、高級バー通いや漢字が読めない(新KY)、各種失言等々、マスコミが寄ってたかってバッシング報道をすれば、国民だって懐疑的な気分になるだろう。支持率が下がって当然である。私は言葉狩りは嫌いなので、出来るだけ良い方に解釈するようにしているけど、何せ発言がクルクル代わるから、何を信じて良いか分からないし、何もかもが詭弁としか聞こえない。

 ただ、ここまで支持率が下がってしまうと、自民党としてはすぐに解散総選挙は出来ないだろう。”政治空白を作らない”と言っていたんだから、また総辞職して総裁選なんていう呑気なことも出来ない。結局はウダウダしながら、任期満了まで行きそうな気がする。仮にそうなったら国民不在もいいところだ。

2008年12月 6日 (土)

橋下知事の携帯規制に賛成

 先日、大阪の橋下知事が小中学生の学校への携帯電話持込原則禁止を表明した。また、高校生については持ち込みは認めるものの、使用は禁止とした。世間では賛否両論あるようだが、私は賛成である。

 そもそも学生が学校内で携帯電話を使う必要があるのだろうか。登下校の際は何かアクシデントが生じた場合、親と連絡を取る必要があるかもしれないが、校内では公衆電話を使わせるか、職員室から電話させれば良い。結局、メールやWeb、音楽等に利用していることの方が圧倒的に多いのだ。こんなもの学校生活には関係ない。

 ある調査によれば、メールが着信したら3分以内に返信しないといじめの対象になりかねないという。また、学校裏サイトやプロフなど、いじめに繋がる利用のされ方も多い。我々でもそうだが、メールというものはとかく誤解を招き易い。本人は何気なく書いたつもりでも、表現方法によって受け手の解釈で大きく傷つけてしまう場合もある。十分に気を遣っていてもそうなることがあるから怖い。

 だから、まだそうした気遣いが未熟な子供達が安易にメールに依存してしまうと最悪の場合は犯罪などに繋がる危険性が多いのではないか。まあ自分の子供は大丈夫と思う親もいるのだろうが、何か事が起こってからでは遅いのだ。将来的には免許制なんてこともあり得る。

 しかしながら昨今の治安状況をみれば不安を覚えても仕方ない。ならば、高校生以下には通話機能とGPS機能しか付いていない携帯電話だけ許可するようにすれば良いのではないだろうか。とにかく今のような野放し状態では危険だと思う。

2008年12月 4日 (木)

心の割り算

 たかが猫なのだが、されど猫なのである。ただ昨日、供養してあげたこともあって、寝違えるくらい良く眠れた。不思議なことにこのところずっと続いていた腰痛も治まっている。それでもまだ亡くなってから2日、ふとした瞬間には思い出してしまう。

 近親者が亡くなったり、失恋した時などは誰でも大きなショックを受ける。だけどほとんどの人が時間をかけてその悲しみから乗り越える。私はその過程では”心の割り算”をしているのだと思う。概念的に言えば、大きなショックや思い出=割られる数、理性や時間=割る数だ。

 大きなショックに付随するいろいろなことを思い出しては、それを理性で考えて割っていくと、ショックは段々小さくなっていく。これが理性を下回った時、”もうわりきれた”、とか”吹っ切れた”という感覚になるのだろう。だけど、完全に割り切れることは難しい。それでも時間というものが人間の持つ”忘却”というものと合わさって、悲しみを封じこめていくのかもしれない。

 今は無理に忘れようとすることが良くないことだと思う。合同埋葬されるまで悔いのないようにするために、今日もお線香を立てにお寺に行った。そうすることが私にとっては心の割り算を早く終わらせることだと思ったからだ。いつまでも悲しみを引きずっていては、マークもなかかな成仏できないじゃないだろう。だけど私の悲しみが癒されるまで、ブログには書き続けたい。

2008年12月 3日 (水)

悲しみは後からやってくる。

 昨夜はほとんど眠れなかった。まだ夜が明けていない早朝、西の空に流れ星を見つけた。ちょっとセンチメンタルな気分になったが、猫の死をなかなか受け入れることが出来ない自分がいる。強い悲しみというより、喪失感が体中を駆け巡っている。

 私は仕事のため立ち会わなかったが、朝9時、ペット供養をしているお寺で荼毘に賦した。ちゃんとお経も上げてもらえたそうである。今日は午後には帰れるので火葬にするのはそれからでも良かったのだが、両親から、傷ついたまま長い時間置くのは可哀想だということからこの時間になった。

 ただお寺は家から車で10分ぐらいの所にあるので、帰ってきてからお参りに行った。そこにはすでに灰になってしまった猫がいた。昨日の今頃は元気に走り回っていたのに・・・。遺骨は引き取っても良かったのだが、同じような仲間達と一緒にいるほうが寂しくないだろうという思いと、家の傍では何かにつけて楽しかったことを思い出してしまい、立ち直ることが遅れるかもしれないという思いから、合同埋葬をお願いした。

 猫も我々家族がペットロスになることは望んでいないだろう。出来るだけのことはしてあげた。ただブログにはこの悲しみが癒されるまで当分書き続けることになるだろう。今は安らかに天国に旅立って欲しい。(合掌)

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2008年12月 2日 (火)

猫の死

 未だに信じられないが猫が死んでしまった。つい3時間前までは生きていたのに。うちの猫は暗くなるとちゃんと家に戻ってくるので、明るいうちに外で遊んでこいとばかりに送り出したのに、車に撥ねられたようだ。まだ、体は温かかった。今から5ヶ月前、せっかく保護して家族の一員となったのにとても残念だ。

 こういうことを書くと、猫なんて完全室内飼いが主流なのだから、外飼いしていたことが悪いという方もいるだろう。確かにそれはそうだが、猫は自由でいて欲しかった。今から思えば、先月、去勢手術をしたので大人しくなるかと思ったのだが、最近は子猫のようにはしゃいでしまっていたのが少し気になっていた。

 何かとても放心状態になっている。私でさえこうなのだから、普段、朝から晩まで面倒をみているうちの両親はさぞかし寂しいことだろう。今日なんて新たにペットフードを30袋も買ってきたばかりなのだ。ペットロスにならなければいいのだが。

 明日の朝、ペットを供養してくれるお寺で荼毘に賦してもらうつもりである。マーク、今まで我々を癒してくれてありがとう。(合掌)

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