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2011年5月

2011年5月31日 (火)

この非常時に政局なんて?って言うけれど。

 明日、自民党と公明党が内閣不信任案を出すらしい。。「この非常時に政局なんてやっている場合じゃないだろう。まして、民主党から同調者が出るなんて呆れる。きっと小沢グループが仕掛けているんだろう」。マスコミの論調はどこもこんな感じだ。明らかに政権維持を後押ししている。

 でも、今の菅政権は酷すぎないか?これだけの大震災だからその対応が混乱するのは仕方ないけれど、原発関連の情報隠しは許しがたい。震災直後から、100億以上のお金をかけて作ったSPEEDI(放射能影響予測情報)を公表せず、結果的に多くの人に被曝させた。それだけでなく、御用学者を使って「ただちに健康被害はありません」を繰り返した。その上、通常なら年間1ミリシーベルトの基準値を20ミリシーベルトに上げた。個人的には福島県の住民を人体実験しているようにしか思えない。

 また、震災復興会議では、まず復興ビジョンを示すのが先なのに、どう増税しようかっていう論議ばかりが目立つし、TPPも何の議論もなく進めるつもりだ。今日も言論封殺の序章となりえるコンピュータ監視法なるものが委員会を通過した。もう完全に官僚にコントロールされているとしか言いようがない。喜ぶのは既得権益に守られた者ばかりじゃないか。ここでこの国が抜本的に変わらなくてどうするんだ。

 今日、飯舘村の避難住民のドキュメントを見ていて悲しくなった。この人達はずっと被曝の事実を知らされず、突然、避難しろって言われた人達だ。ちゃんと国がフォローしてくれるのか?どんな政権になるか分からないけれど、このままこの政権を維持することは許せない。多分、こんなことを書くと批判されるかもしれないけれど、正直な気持ちを隠せない。

(最初、インターネット監視法と書きましたが、コンピュータ監視法に訂正します)

 

 

 

 

2011年5月29日 (日)

関係者、ボランティアの皆さん、ありがとう。大雨の山中湖ロードレース

 市民マラソンに出始めて、6年ぐらいになるけれど、今日ほどの大雨でのレース参加は初めてだ。台風2号が梅雨前線を刺激して昨夜から雨は音を立てて降っていた。正直言って、主催者から”中止”って発表があるのを待っていた。だけど、その気配はない。しぶしぶ車を走らせた。

 私は1年8か月前、両アキレス腱を痛めてから、ほぼ毎週、病院でリハビリ治療を受けている。去年の夏ぐらいからようやく走れるようにはなったものの、たびたびマイナートラブルに見舞われ、今回も3月8日、左ふくらはぎに軽い肉離れを起こしてしまい、走れるようになったのはGWの時で、体重も5㎏近く増え、先週やっと12㎞走れたばかりである。そういう状況なので、大雨だったら棄権しようかなとも思ったけれど、LSDのつもりで出て、ちょっとでも違和感を感じたら途中棄権したらいいじゃないかと考え直した。

 スタート15分前、この大雨の中、じっと耐えるのは辛いものだが、DJと千葉真子さんとの掛け合いで笑い、気合を入れてもらう。「こんな大雨の中で走るなんて滅多にできることじゃない、楽しむしかない」。結構、前向きになれた。ハーフ、湖1週合わせて1万人強がスタートする。

 コースは至る所で川のようになっていたり、大きな水たまりがある。最初のうちは気になるけれど、そのうちどうでもよくなってくる(笑)。それでもそんなに寒くないから助かった。もともとLSDのつもりで、恐る恐るゆっくり走っているから呼吸はそんなに辛くない。

 6㎞から始まる上り坂を無事乗り越え、本来なら日本一の富士山を横目に走れる9~10㎞を過ぎ、何とか1週(13㎞)を通過する。ここでは1週コースの人が右折して中学校のゴールを目指す。(俺も1週にしとけば良かったな)と内心思いつつ、ハーフの人は約4㎞先の折り返し地点まで行かなければならない。どんどん折り返してくる人とすれ違う。でも焦ることはなく淡々と進むのみ。ただ1週目は苦にならない緩やかなアップダウンも精神的に辛く思えてくる。

 ようやく折り返し地点、あと4㎞。特に脚に異常はない。これなら走りきれるかな。旭ヶ丘のポイントまで戻ってくると、もうレースを終えた人たちが宿に向けて戻り始めていて、声援をもらう。嬉しいやら恥ずかしいやら。スタート地点に戻り左折、ここから中学校のグランドまでは400mぐらいの登り。最後の難関だ。でも予想以上に辛くはなく、あとは田んぼのようなゴール手前のグランドを進んでレース終了。何とか給水所以外では歩かなかった。脚にも異常は出なかったので、低いながらも目標は達成した。

 雨は一段と激しくなる中、豚汁を頂く。温かくて美味しい。毎回マラソン大会に出場すると感じるのだが、ボランティアの方々の献身的な活動には頭が下がる。今回なんか、確かに雨合羽は着ているけれど、これだけの大雨なので皆、ずぶ濡れだ。それにもかかわらず、「大雨の中、大変でしたねぇ」とか「風邪引かないで下さいね」なんていう暖かい声をかけてもらえる。この優しさに触れたいために、私みたいな者が定期的にマラソン大会に参加してるのかもしれない。本当に今日はありがとうございました。

2011年5月27日 (金)

ドラマ「女王の教室」の名セリフと震災後の私

 今から6年前、NTV系列で「女王の教室」というドラマがあった。クラスを支配する女教師(阿久津真矢)と小学校6年生の児童との1年間にわたる「闘い」を描いたものである。当時は内容の過激さから賛否両論の反響を呼んで物議を醸したこともあったと記憶している。

 その1話で阿久津先生のこんな台詞がある。「・・・社会なんです。・・・イメージできる?彼あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。 そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる? 今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。 世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず・・・・」

(全文は誤解を生じる可能性があるので控えます)

 震災後、原発事故関連での政府の対応や大本営発表のような報道を見聞きして、この台詞の一部を思い出した。当時は”言いえて妙だなぁ”ぐらいの感じだったが、今では胸に突き刺さる。原発事故は過少に評価され結果的に多くの人が被曝した。今日もデータの未公表があったと発表された(怒)。震災復興名目で増税しようとしているし、TPPも諦めていない。これ以上デフレを進行させてどうするんだ。正直なことを言った学者、ジャーナリスト、タレントは表舞台から排除されている。この他にもおかしいと思えることが多すぎるではないか。それでも得するのは誰だろう?

 ただ自分も反省するところがある。私は世の中の事には関心があった方だが結局は何も行動してこなかった。耳の痛い話からは避けていた。選挙には行っていたけれど、候補者の話なんてまともに聞いたことがなく雰囲気で決めていたかもしれない・・・。自問自答したあげく、少なくとも自分でできることは何かしよう、行動しよう、そんな思いが災害ボランティアに繋がったのかもしれない。

 でも1度行っただけではやり残し感が強く、まだ自分の中では納得していない。本来なら中小企業支援で行きたいところだが、地味な活動実績では現地派遣に登録していてもなかなかお呼びがかからない。次はどういう行動をしたらいいか?いろいろ思案している。

2011年5月26日 (木)

今、一番心配していること

 私は今回の震災で原発の事故が起こるまで、原発を特に否定するわけではなく、危険かもしれないけれど地元の方々の理解があって、補助金等で潤うなら良いのではないかと考えていた。

 しかし、発生から2か月半過ぎた今でも放射性物質は撒き散らされ、海洋汚染も進んでいる。300㎞離れた私の地域のお茶にも基準値を超えたセシウムが検出され出荷できなくなった。国と東電は収束に向けての工程表なるものを出したが、その実現だって確実とは言えない。時々、統合本部の記者会見をユーストリームの生中継で観るのだが、スッキリしない曖昧な回答が多い。最悪のシナリオである水蒸気爆発の可能性は低くなったかもしれないが、放射性物質の流出はいつ止められるのか分からないという印象である。原発安全神話が壊れた以上、考え方を改めねばならない。

 そこで、今、一番心配しているのが、文科省が4月19日に学校関係に出した安全基準のことだ。この事故が起こるまでは、許容範囲は年間1ミリシーベルトだったのに、事故後、年間20ミリシーベルトまで引き上げた。ICRP(放射線防護委員会)という機関が事故収束期には最大20ミリシーベルトまで容認しているのが根拠になっている。でも、この数値は放射線管理区域で働く人の約4倍、チェルノブイリの時の避難基準の約4倍である。成長期にある子供は放射線の影響を大人の数倍受けるとも聞く。直ちに影響はないかもしれないけれど、5年後、10年後は果たして大丈夫なのだろうか?

 確かに学者の中には”大丈夫、心配しすぎ”と言った意見も多い。おそらくこれを読んでくれる人の中にも”心配性で馬鹿な奴だ”と思われるかもしれない。だけど、数値はともかくとして、まだ原発事故は現在進行形であり、しかも、先生が線量計で放射線を測りながら勉強や運動をする環境っていうのは絶対におかしい。すぐにこの基準を撤回し、線量を下げることができないなら、心苦しいけれど、国の責任で子供だけでも疎開させることを検討して欲しいと思う。

 

 

2011年5月25日 (水)

相馬市の中村神社にいた猫たちを見て思うこと。

 私は猫好きだが、2年半前、拾ってきた生まれて3か月ぐらいの子猫を僅か半年足らずで交通事故死させてしまった。田舎で周囲の理解もあったから外飼いしていたのだが、とても可哀想なことをしてしまった。まだそのトラウマが残り、時々、安置しているお寺に行って手を合わせている。

 猫って、知らない人が近づくと普通は逃げる。飼い猫でも知らない人だと余程のことがない限り近寄ってこない。ところが先日、ボランティアで立ち寄った相馬市の中村神社にいた6~7匹の猫たちは妙に人懐っこい。女子高生が座っているベンチの隅で寝ていたり、私が立っているだけで足元にすり寄ってくる。これはとても不思議だった。

 話を聞いてみると、とても辛い経験をしてきたようだ。中村神社には原発から20㎞圏内で避難してきた馬が数頭保護されている。また、震災時、がけ崩れで生き埋めになって死んでしまった母ヤギから生まれた2匹の子ヤギもいる。そしてこの猫たちも同じところで飼われていたらしい。環境変化を嫌うとされる猫にとってはかなりダメージを受けたんだろう。そう考えたら、亡くした猫と重なってしまい、とても愛おしく感じてしまった。

 でもこの猫たちは命が助かり、キャットフードを与えられ寝床も確保されたからまだ幸せだ。原発から20㎞圏内にはどれくらいの飼い猫や飼い犬がいただろうか。4月22日までは動物愛護団体や飼い主が比較的自由に入れたから、ペットフードを置きに行くことができたようだが、かれこれ1ヵ月以上、それも出来ていない。飼い主の気持ちを思うとやり切れない。

 確かにまずは人の命が一番だけれど、ペットだって家族の一員だ。特に高齢者にとっては心を癒す唯一の存在だったかもしれない。行政に文句をいうつもりはないが、避難するとき、もっと柔軟な対応が取れなかったのだろうかという気持ちも捨てきれない。とても複雑な心境になる。今日、一時帰宅が認められた人達がいるようだが、奇跡が起こっていることを節に願う。

2011年5月24日 (火)

災害ボランティアに行って感じたこと。

 5月11日から15日まで、災害ボランティアとして南相馬市に行ってきた。子供の頃から大学までボーイスカウトに入っていたのでボランティア活動は多少はしたことがあるが、今回のように津波の被災地に入って活動するというのは初めてだった。(動機や活動内容は「FROMあしがら」のHPに書いているのでそちらを読んで頂けるとありがたい。http://fromashigara.blog39.fc2.com/

 私もそうだったが、現地にボランティアに行って少しでも何かの役に立ちたいと思う人は大勢いると思う。だが実際行こうと思うと、高いハードルが待っている。まずは覚悟。今回の場合は原発事故による放射線、大きな余震や津波といったリスクを受け入れなければならない。これはすぐ乗り越えられる。

 次に時間。私の場合は開業準備中だったので、どうにでもなったが、普通に仕事をしている人なら休まなければならない。これには会社の理解が必要となる。そして費用。宿泊地、交通費、現地での飲食費、作業装備等々、1週間の活動すると仮定してざっと計算したら、安宿を探せたとして7~8万は軽く掛かってしまう。さすがに経済的に余裕のない自分には厳しいものだった。

 ただ私の場合、偶然にも「FROMあしがら」という、資金的に支えて頂ける人達が大勢いたグループに参加できたため、経済的な負担はほとんどしないで済んだので行くことができたのだ。

 今回の震災は被災地が500㎞にも及び被害は甚大だ。自衛隊、警察、消防等の公的な活動も必要だが、細かい作業はやはりボランティア頼みになる。だけど、前述したようにボランティアに行くにはハードルが高いからなかなか十分な数は集まりにくい。もちろん、国が仕事として人を雇うという方法もあるけれど、恐らく予算措置云々なかなか進まないだろう。だから、ボランティアの数を増やすためには、国が希望者の宿泊地や交通手段及び費用を多少なりとも支援してあげることが必要なのだと思う。

 

 

 

2011年5月22日 (日)

初めての皇居ラン♪

 昨日は12年前、中小企業診断士受験時代に同じ受験予備校で一緒だった方々と御茶ノ水で飲み会だった。同じクラスには当初35名ぐらいいたが、今、この会で集まるのは5~6名になってしまった。でも、一風変わった同窓会がこんなに長く続いているのも珍しいことではないだろうか。古い言葉で言うと戦友だからなのかもしれない(笑)

 東京に行くのは久しぶりでお上りさん気分♪。そう言えば、走り始めてかれこれ6年にもなるのにランナーの聖地と言われる皇居で走ったことがない。せっかくだから、走ってみようという気になった。

 4時過ぎ、ネットで調べた神保町の梅の湯に着替えをおいて竹橋に向かう。ランナーの姿もチラホラ、だんだんテンションが上がってくる。首都高の高架をくぐると、おお、走ってる、走ってるランナーさん達。ただ、まだ時間が早かったのか、それとも土曜日だったからか、自分が想像していた割には多くない感じだ。

 天気は良く、気温、湿度も丁度良い。さっそく反時計回りに走り出した。まだ脚に不安があるからゆっくりと上って行く。左は皇居の新緑、右は美術館か、普段は河川敷のコースが多いから、景色はとても新鮮。ちょっと狭い千鳥ヶ淵のところを過ぎ、半蔵門まで差し掛かると、そこから桜田門方面に向かって眺望が開ける。最高裁や国会、警視庁、ここは日本の中枢なんだなぁと思いながら、桜田門をくぐり広場に出た。一般的にはここがスタート地点らしい。多くのランナーが準備運動をしていたり、待ち合わせしたりしている。

 そして、内堀通り、おお、ここは東京マラソンの時に走ってるじゃないか。消防庁、気象庁を過ぎ、そうこうしているうちに竹橋の前に戻ってきた。景色が次々に変わっていくので不思議と飽きない。当然、もう1周。所々に警官はいるし、トイレ、休憩場所も適宜ある。走った後、お風呂に入って疲れをとれるのも良い。都心で走ることがこんなに楽しいとは思わなかった。やっぱり聖地と言われるだけのことはある。

 最近、ランナーが急増しトラブルも増えているみたいだけど、皆でマナーを守って、変な規制が入らないようにして欲しいものだ。

*コメントは宣伝系のものが多く入ってくるので今のところ止めています。twitterで頂けると嬉しいです。アカウント@masafumi0428

 

2011年5月20日 (金)

ブログ復活させます。

 早いものでブログを書かなくなって2年以上が過ぎてしまった。男の更年期だったらしく、いろいろな面で気力が湧かなかったからだ。でも昨年からTwitterを始めて状況が変わった。見ず知らずの人と繋がりを持てるようになり、いろいろな人のつぶやきを読むことによって、元気が出てきた。それで診断士業に専心するため、アルバイトも辞める決心がついた。

 そして今年になって、本格的に開業準備を始めた矢先、東日本大震災に遭遇することになる。私も50年近く生きてきて様々な災害を見てきたけれど、被災地が500㎞にも及ぶ事態は初めてだった。そして、それに追い打ちをかけるように、日本中を震撼させている東京電力福島第一の原子力発電所の事故、もう完全に人生観が変わってしまった。

 それからは、”自分に出来ることは何か”ということをずっと考えていた。でも、現地に行こうにも被災地にはガソリンが無かったり、宿泊場所を確保できなかったり、資金がなかったり、個人で行くには様々な障害が現れ、なかなか実行できず悶々とした日々を過ごしていた。4月に入り診断協会から、現地での経営相談員募集があって応募したけれど実績が乏しいからか、音沙汰なしだった。

 もう諦めかけていた時、「FROMあしがら」というグループで極力経済的な負担がかからない形で現地ボランティアを募集していたので、すぐに応募しGW明けに行くことになった。当時の模様は「FROMあしがら」(http://fromashigara.blog39.fc2.com/)のブログに書いたのでそちらを参考にして欲しい。

 これから自分に何ができるか?帰ってきてからも、いろいろ考えた。やはり中小企業診断士を名乗っている以上、被災地中小企業の復興を支援することが望ましい。だけど、なかなか難しいのも事実だ。したがって、このブログでいろいろ考えていきたい。

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