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2011年7月

2011年7月30日 (土)

南相馬災害ボランティアagain【8日目】活動最終日

 朝からあいにくの雨。8日間もいて、満足に晴れたのは2日ぐらいか。外作業は中止になったので、支援物資の仕分け、及び、被災された方々への配布作業に参加した。VCの近くにある体育館には世界中から集まってきた支援物資がうずたかく積まれている。まず、その中から、今日配布予定の物をトラックに積み、別の体育館に持っていった。

 その体育館ではボランティアが何日間に渡って、衣類などはサイズごとに分別し、日用品、食品(水、カップめん、缶詰、お菓子)等々、全て分類されている。それを被災して仮設住宅や借上住宅に住む方々に来てもらい、配分していくのが今日のメイン作業だ。室内には掲示板があって、そこには全国各地から届いた支援物資の中に入っていた手紙が貼ってある。これを読むと、善意の塊がここに集中しているのを実感する。涙が出そうになる手紙もあるので困るのだが・・・。

20110730_121029_3 午前中に支度を整え、午後から被災者の方々が順次会場に入ってくる。鍋釜、食器、衣類、布団、玩具、日用品、食品を割り当ての範囲で選んでいく。ボランティアは総勢30名程度いたが、それでもその対応をするのは大変だ。特に荷物が相当多くになるので、とても一人、二人では持ち切れず、その分は我々ボランティアが荷物を持ってあげて、商品の割り当て等を説明していく。雨が降って涼しい日だったが、体育館の中は相当蒸し暑く、Tシャツは汗だくだ。

 

 荷物を持ちながら説明していくと、「こんなに貰っていいの?」「これは助かるよ」なんて言葉を聞けて、素直に嬉しい。そして最後に「頑張って下さいね」と声をかけて、荷物を車まで運ぶ係りのボランティアに荷物を手渡す。その時に笑顔で帰っていく姿をみると、少し安心するのだ。

 結局、今日は134世帯の人達が来た。今回の配布では昨日から4日間の予定らしい。こんな支援物資で、失ったもの全てが元通りになるわけではないが、再出発の足掛かりとなることを望んでいる。片付けを終わった後、一息入れながら、ボランティア同士の会話が弾む。皆、充実感を得ている一瞬だ。今日で南相馬災害ボランティアagainの現地活動は終わるが、家に無事着くまでがボランティア活動だと肝に念じ、安全運転で帰路につきたい。

(明日は総括を書きます♪)








2011年7月29日 (金)

南相馬災害ボランティアagain【7日目】被災地ニーズ発掘ボランティア

 今日は「被災地ニーズ発掘ボランティア」に参加してきました。この活動の目的は2つ。一つ目は自転車で一軒一軒お話を伺って、ボランティアで作業できそうなことを聞いてくること、もう一つは被災者の方のお話を伺って、精神的に少しでも楽になってもらうことや、被災地をボランティアが巡回していることを知ってもらって勇気を与えることです。

  この活動を企画された責任者は3か月前から申請していたようですが、ようやく自転車部隊の活動が始まったのは1週間前とのことでした。私も前回ここに来たとき、こういうことをしないとなかなかニーズが掴めないだろうと思っていたので、まさにベストタイミングでした。

 自転車は20110729_093013台湾からの支援物資で、南相馬市には20台が贈られてきたそうです。今日は総勢10名、途中で3班に分かれて、一軒一軒訪ねていきました。当然、留守のお宅もあるのですが、2軒目に伺ったお宅のご主人とは1時間以上もお話をし、ボランティアニーズを聞くことができました。

地震当時のことは勿論、ご家族の事、原発事故の事様々な話をしてくれました。笑ながら話してはくれますが、やはり、先行き不透明なことが心配なようでした。

 最初のうちは、「家は津波の被害がほとんどないから、大丈夫ですよ」というお宅が多いそうですが、話し込んでいくうちに、「そう言えば、こんなことはやってもらえるのですか?」という具合になることがあるそうです。また、「一度ボランティアさんに来てもらったから、もう一度頼むのも気が引ける」、「我が家より、あそこのうちの方が大変そうだから後でもいい」などという思いがあって、ボランティアセンターへの依頼を躊躇されている方々も多いのです。ですから、こうして回って、ニーズを聞いてくることは大事だと思えます。

 

 そうして聞いてきたニーズをボランティアセンターに連絡して、そこから被災者と打ち合わせてもらうような形にしています。実際、ボランティアでは出来ないこともあるので、ちゃんと話し合いを行って齟齬を生じないようにしなければなりません。今日の段階では、まだシステムが完全ではなかったので、その時、どの地域を回ったのか、どんな話が出来たのか、あるいは不在だったのかというような情報が継承されていませんでした。そのため何度も同じ地域を回ったりして非効率になっていました。そこで、今日の午後からはルール作りを行い、そのルールを伝達していくような形式で効率アップに繋げていってもらうことになりました。

 未曽有ともいうべき災害があったのですから、僅か4~5か月でボランティア作業が無くなってしまう訳ではありません。今日、被災地を自分の脚で回ってみて、まだまだ支援が必要な事が分かりました。そして、南相馬に対する思いがより強くなった1日でした。明日は今回のボランティア活動最終日、最後まで注意を怠らず頑張りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年7月28日 (木)

南相馬災害ボランティアagain【6日目】今日の行動と雑感

 今日は朝からあいにくの雨。雨だとボランティアのメイン作業である、泥だし、家財だし、瓦礫撤去は中止になる。安全のためらしい。そこで、写真の洗浄作業に参加した。一昨日はアルバムから解体するだけだったが、今回は泥が付着した写真を洗浄した後、乾かし、グルーピングしていく。泥にはバクテリアがいるので、マスク、手袋は必須だ。結婚式、運動会、旅行等々数え上げたらきりがないくらいある。

 果たして、この写真は持ち主にもどるだろうか?そう思いながらも、ボランティアの活動時間は限られているので、1人当たり、50~60枚処理するのがやっとだ。心惜しい気分になりながらも、明日以降の人にバトンタッチせざるを得ない。

 活動場所の近くが市役所だったので、そこの食堂で昼食をとった。津波の被災状況の写真や行方不明者に関する情報、亡くなった方の情報、犬猫の預かり状況などを見て、記帳場所で署名をした。感想を言葉にすることができない。

 活動終了後、明日参加予定の「被災地ニーズ発掘ボランティア」の話を事前に聞きに行くために避難所に併設されているボランティア事務所に行った。内容は被災したお宅、避難所、仮設住宅などを自転車で巡回して、被災者の方々の生の声を聞いて、ニーズの調査をするというものだ。そして避難所の様子を初めて見た。例えようのない重圧を感じた。ここで4か月以上、生活するなんて自分にできるだろうかと。

 帰り道、スーパー寄った。野菜売り場には、野菜ごとに採取された場所、日、そして放射性物質の量が掲載された紙が貼られている。そのうち全国各地でこの光景を見るようになるだろう。野菜だけでなく肉や魚も。また、現地のFMでは、細かい地点のモニタリング結果を発表している。そういうものを見なければ、ここが危険な地域だということは全く感じない。何とも嘆かわしいが、そういうことを現実として受け入れないと、生きていけない時代になってしまったのかもしれない。

 

 

2011年7月27日 (水)

南相馬災害ボランティアagain【5日目】ボランティアの休息

 今日は休息日にして会津方面に出かけてきました。短期参加のメンバー3名とは今日でお別れです。毎日、夜はお酒を飲みながら、いろいろ語り合ったので少し寂しくなりますが仕方ありません。 

 当初は1週間強の活動なので休みなんていらないかなとも思っていたのです。でもボランティア活動を始めてみると、家主さんには非常に感謝されるので、テンションが凄く高まります。そのテンションが続けばいいのですが、適当に休息する日をつくらないと長続きできません。ボランティアに行って、迷惑をかけることは避けたいのです。

 昨日、我々グループの女性陣がお会いした、既に一ヵ月ここに滞在しているボランティアの女性も週2日は休んでリフレッシュしているそうです。異常な状況なので、短期的には乗り切れるけど、長期になるとそうはいかないと言っていたといいます。自分が楽に仕事をしているように感じても、実際は肉体的にも精神的にも疲労が溜まっているのです。

 今日は喜多方ラーメンを食べ、裏磐梯に行き、五色沼の2つぐらいの沼を散策し、猪苗代湖で3名とお別れしました。平日だからかもしれませんが、観光客があまり来てないんです。会津は直接的には、ほとんど放射能の影響は出ていないんですが、先日も、セシウム牛が出たとの報道もあったせいか、閑散としています。

 会津地方の自然に一瞬だけですが触れてきて、気分転換出来ました。夕飯も男3名のわりにはそこそこ満足いくものが出来ました。明日からの後半戦、最後まで頑張りたいと思います。

 

 

2011年7月26日 (火)

南相馬災害ボランティアagain【4日目】いろいろな想いでボランティアにきているんだなぁ。

 今日は原町区VCに行った。いろいろな作業があったが、女性2名は全国各地から送られてきた女性用の衣服の整理、男4名は流出物の清掃/掲示作業と二手に分かれた。意外と外作業は人気があって、すぐ定員が埋まってしまう。充実感が違うからだろうか?

 今回の作業自体は今までの家財だし、瓦礫撤去、泥だしとは違い室内で行うので、身体的には楽だった。 だから、いろいろな所から来ているボランティアの方々とも話が出来て、とても新鮮だった。女性グループの一人は60代中盤でご夫婦で鹿児島から来たという。すでに滞在して1ヵ月近く経つ。ここまで軽自動車で、高速を使わずに4日間かけて来て、中学校の体育館で寝泊りしている。被災地の方々は学校の教室などで寝泊りしているのだから、その気持ちを考えればなんでもないと語られたという。

 我々、男性陣のグループで会った方は、東京から仙台あたりまで一人で電車で来て、それからは自転車で移動してきたと言っていた。昨日の会った女性も東京から一人で来て、宮城県の東松島から南相馬とはしごでボランティア活動をし、今日は仕事をしている筈だ。何とも思い入れが強い人達だ。それに比べると、我々は交通費や宿泊地にはほとんどお金はかからずに活動しているので、生ぬるいのかもしれない。

 今日、少し衝撃的だったのは、現地のFMラジオを聞いたことだ。南相馬市の細かい地点のモニタリング結果を放送していて、3.2とか3とか2.8マイクロシーベルトの地点がかなりあるのだ。原発事故が起きてから一応、放射線の勉強をしてみた自分としては、「えっ、こんなに高いの?」っていうレベルだ。だけど、現地の人は知ってか知らずか平然と普通の生活が行われている。しかも、各地に避難している人達に8月末までに帰ってきて欲しいと呼びかけている。大丈夫なんだろうか?

 今は原発から30㎞圏外にはいるけれど、多分、小田原の数倍あると思う。でも線量計を測らない限り体感では高いとか低いなんて何も分からない。無茶だと思ったけど、ジョギングまでした。私のように1週間ぐらいの滞在では大丈夫だと思うし、もうすぐ50の人間が10年後何か不調になったからと言って、因果関係は分からないから開き直れる。でも、ここで生活している子供達はとても心配だ。

 明日は休息日にして、会津地方に行ってこようと思う。ボランティア活動は体力的にも精神的にも、なかなか毎日は続けられない。1日リフレッシュして後半戦を乗り切りたい。

 

2011年7月25日 (月)

南相馬災害ボランティアagain【3日目】

 夜明け前、縦揺れの大きな地震で目が醒めた。福島県沖M6.2、震源の深さは約40㎞、まだまだ余震を警戒しなければならないのを実感する。

 今日は鹿島区ボランティアセンターに向かう。ひまわり畑の整備活動だ。休耕田が荒れないようにひまわり畑にしているらしい。現場は数百メートル先が海で、割れた堤防の向こうには太平洋の荒波が見える。この付近には70戸程度の人家があったということだが、基礎の部分を残して全て失われてしまった。

 作業は畑の脇を通る歩道の清掃と、畑の中にある細かい瓦礫を手作業で除去である。総勢15~6名で取り掛かる。沖縄から来た小学生も母親と一緒に参加していたのには驚いた。しかも良く動くし、不平なんて一言も言わないし、言葉遣いもちゃんとしている。他にも大阪から来たとか東京から女性一人で来た等々、本当に全国各地から、何かしたいという思いだけで、来ているんだなぁと少し感動する。

「20110725_13.50.13.jpg」をダウンロード

 午後2時頃までその作業を行い、それからはVCに帰って、支援金を集めるための小さな幟を組み立てた。ただ支援金を受け取るのではなくて、幟、1本につき500円以上の寄付を募るそうだ。同じようにステッカーも販売していた。帰りにはぜひ買っていきたい。

「20110725_14.30.57.jpg」をダウンロード

 

2011年7月24日 (日)

南相馬災害ボランティアagain【2日目】のべ8日目にして初めて海を見た。

 南相馬市にはボランティアセンターが原町区と鹿島区の2か所にある。宿泊地からは鹿島区の方が近いのだが、「今日は人手が足りそうなので原町の方でお願いします」ということで、原町VCに行った。

 前回は20~25名で行ったので現場単位で入ったが、通常はVCにメニューが提示されていて、希望の作業を選ぶようだ。今回は6名全員同じ作業をしようということと、体力があるうちはハードな作業ということで、家財出しを選んだ。全国各地から集まった総勢15名がチームを組む。目的は一緒なれど、初めて顔合わせする面々だ。

 現地は海から約600mぐらい。VCから現場に向かう途中、ここにきて初めて海を見た。母屋は完全に倒壊したが、離れが2軒もあるお宅。離れと言ったって、私の実家と変わらない。その1軒は震災から4か月も経っているのに、全く手付かずの状態で室内には家財が散乱している。リーダーの指示に従い、家の中から物を出していく。どうしたらこんな風になるんだろうと思う位、メチャクチャだ。家自体も基礎から3メートルぐらいずれている。今日のお宅は水が3mぐらいまできていた。間一髪裏の高台に逃げられたので助かったのだそうだ。

 前回は、この家財出し作業が終わった後の泥出し作業が多かったが、今回の家財出し作業は津波被害のままの状態から始めるので、津波の凄まじさは嫌というほど分かる。しかも、 幸い、今日は風が涼しかったので体力的にはありがたい。皆、淡々と作業を続けるものの、それでも泥まみれの畳、カーペット、布団、衣類、箪笥、ありとあらゆる物が折り重なって作業の手を阻む。しかもガラスの破片も至る所にあるし、平屋とはいえ足場も悪い。必然と声を掛け合う。今日、初めて会って名前すら分からない人達なのに、徐々に片付いていくから不思議だ。時間ギリギリまで頑張って、一応、大方のものは片付いた。その後、VCに戻って、皆さんとお別れ。まさに一期一会だ。

 今回はこういった形で新たな交流が生まれることも期待している。そして作業も家財出しや泥だし以外にもトライしてみたい。適度な疲労感のある充実した一日だった。明日からも事故や怪我の無いように注意しながら作業に取り組みたい。

 

  

 

2011年7月23日 (土)

南相馬災害ボランティアagain【1日目】再びポニー牧場にやってきた。

 2か月ぶりに南相馬にきた。その時と同じポニー牧場でこのブログを書いている。小田原を6時に出発し、12時過ぎにここに着いた。たった2か月なのに懐かしい。前回は25名のチーム合宿の気分だったが、今回は我々の6名以外にもいろいろな目的で来ている人達が十数名滞在しているという点では新鮮な気分だ。

 今日はたまたま相馬野馬追というこの地方に千年以上の歴史のあるお祭りと日程が重なった。ただ、お祭りのメイン行事である甲冑競馬や神旗争奪戦は震災や原発事故の影響があって行われないのは残念だ。鹿島区で行われた総大将御迎行事のみ見学した。

 前回は団体行動で、尚且つ、時間の制限もあったので、なかなか街中を回ることはできなかった。しかし、今回は時間的な余裕もあり、前回、伺ったところや海沿いも回ってみた。あの時は、瓦礫の山が至る所にあったが、今日見た限りではほとんどそんな箇所はなくなっていた。田んぼに流れ着いた船も数は減っていた。ただ、津波の爪痕が完全に消えているわけではなく、細かくみていけば、まだまだ復興の兆しはほど遠いとしか言いようがない。

 明日から、いよいよボランティア活動に入る。今回のチームは前回参加の3名と新たな3名という構成で、しかも今日初めて会った人もいる。チームワークを高めるという名のもと、早速、一献傾けてコミュニケーションを図っている。明日からは違うチームの方々とも交流を深めたいと思う。何かワクワクしてきた。

 

 

2011年7月22日 (金)

出発前夜。

 明朝から南相馬市へ再び災害ボランティアに向かうために出発する。5月、FROMあしがらで行った時は、ボランティア活動は一生懸命やったし、被災地の惨状も感じることはできた。だけど、仲間が沢山いて林間学校のノリもあったので、正直言って楽しかったという気持ちの方が強い。帰ってきて不謹慎だったかなと思う反面、そのくらいの息抜きがなければ、到底やり通すことなんて出来ないという思いもあった。

 また、開店休業状態の自分がそんなことをやっていていいのか。まずはちゃんと食べていける道筋をつけることが先ではないのかというジレンマも続いている。確かに経済的にはかなり厳しいのも事実だ。

 それに我々、ボランティアに出来ることなんてたかが知れている。見方によっては偽善だという人もいるだろう。確かに自己満足の部分は否定できない。でも、あの惨状を見て何か少しでも力になれることがあれば、何かしてあげたいと思うことは誰にでもあるはずだ。それをたまたま自分がやっているだけなんだと思うことで、いろいろな葛藤から吹っ切れた面がある。

 「後悔するより、する反省」。これまで何度となく挫折を繰り返した中で得た教訓だ。もし、このまま、何もしないでいたら将来的には絶対後悔すると思う。せっかくFROMあしがらが、交通費等のお金まで支援してくれるのだから、他人から何と言われようが、納得できるところまでは頑張ってみたい。・・・飲んでるから、ちょっと格好つけちゃったな(笑)

 

 

 

 

 

2011年7月21日 (木)

この事件もまた冤罪につながるのだろうか?(「東電OL事件、再審の可能性」by読売新聞)

 今朝起きて、新聞のサイトをチェックしていたら、読売に「東電OL事件、再審の可能性・・・別人のDNA採取」というスクープ記事が出ていた。この事件は数年前、佐野真一氏の「東電OL殺人事件」、「東電OL症候群」を立て続けに読んでいたので内容についてはよく覚えている。

 とにかく不思議なことだらけ。一番不可解なのが裁判の流れだ。被疑者のネパール人男性は一審では無罪となった。簡単に言えば状況証拠だけでは納得できないという判断だったんだろう。ところが、普通、無罪判決が出たらなら釈放されるところが、拘留が続けられ、高裁では逆転有罪判決が下されたのだ。最高裁でも高裁の判断を支持し無期懲役刑が確定した。

 佐野氏の本を読む限りでは、ネパール人男性は犯人とは言い難い。だけど、客観的にみれば、この男性も供述を何回か変えていたり、完全なアリバイがないことなどもあり、何とも判断が難しいのは確かだ。ただ、疑いをかけた方に立証責任はあり、立証が不十分なら、無罪にしないとおかしいと思う。

 一つ気掛かりなのは、何故、この時期に東電絡みの事件が再燃するのかという点だ。このことについても何か裏がありそうだけど、憶測でしかないから止めておこう。

 なにわともあれ、二審の判決理由とは食い違った内容が出てきたのだから、やはり裁判はやり直し、検察側がちゃんと説明責任を果たすべきだろう。真相の解明を期待する。

2011年7月19日 (火)

サッカー女子日本代表チーム、W杯優勝おめでとう!!

 昨日の朝、不撓不屈の精神を発揮して、一度も勝ったことがないアメリカチームを下し、W杯優勝の偉業を成し遂げた女子日本代表には感謝したい。久しぶりに嬉しくて涙した。(私は「何とかジャパン」という呼び方は苦手なので女子日本代表という表記にします)

 ただ、気になるのがマスコミの報道姿勢だ。北京オリンピックの時もソフトボールで日本は金メダルを獲得し、その後も一時は報道合戦になったが、五輪正式種目から外されたのをきっかけに報道量も少なくなっていった。今では、女子ソフトボールがどのような状況なのかすら分からない。相変わらず、不遇が続いているのではないだろうか。

 私は今回のサッカー女子についても同じ懸念を抱いている。確かにソフトボールとは違い五輪種目にもなっているから、簡単に下火にはならないだろう。でも、この不況下でどれだけの企業が支援し続けることができるのかは微妙だ。観客収入では絶対賄えないし報道量が少なくなれば、我々の関心も徐々に薄れていく。

 今回の優勝を機に、もう一度、ビジネスモデルを見直し、選手たちがちゃんと食べていけるような環境を整えてあげることが必要なのではないだろうか。これはサッカー連盟が中心となり、国や企業がサポートすることで是非、実現させてほしい。震災で疲弊した日本の多くの人々に勇気と感動を与えてくれてありがとう。

 

 

2011年7月17日 (日)

どんどん広がる放射能汚染。

 つい一週間前、南相馬市から出荷された和牛に基準値を超える放射性セシウムが含まれていたことが発覚して以来、疑いのある牛の数は日に日に増えていっている。そして、全国各地に流通され、おそらく消費されている。畜産農家の方々の心労を考えるとやりきれない。

 原発事故当初、原子炉は安定しているとか、格納容器は健全だなんていって過小評価し、パニックが起こるかもしれないなどという理由から、放射能拡散予測情報を隠蔽したことが一因だ。しかも、大手マスコミも「風評被害で福島産の農産物が売れない」などと煽り、いかにも福島産の物を買わないのは、消費者側の責任にあるような報道をしてきたことも大きいのではないか。一部の学者やフリージャーナリストは危険性を訴えていたが、それもデマ扱いされた。

 もうまるっきり太平洋戦争当時と同じ。ミッドウェイ海戦で大敗したのに、大本営は転進と発表、それを当時のマスコミはそのまま伝えた。まあ、当時は大本営に逆らうようなことを書くと命の保証すらなかったので多少は割り引かないといけないが、今回の原発関連報道は酷すぎる。

 牛肉からセシウムが検出されたって、相変わらず「ただちに健康被害はありません」とか「食べ続けなければ大丈夫です」なんて報道ばかり。そもそも日本の基準値が欧米各地より高いことはほとんど言わないし、言ったとしても、それは欧米が過剰なんだなんて言い張る。ならば、自分達が食べてみて報道してくれよ。

 そりゃあ、食べてすぐお腹を壊したり命を失うような中毒症状は起こさないだろう。怖いのは5年後、10年後の話じゃないか。まあ、私のような50近い人間は仕方ない。今まで原発の安全神話を信じ、間接的にはその危険を地方に押し付けてきたのだから。でも、チェルノブイリでも分かるとおり、放射能の一番被害を受けるのは子供達なのだ。

 覆水盆に返らず、起こってしまったことは取り返しがつかない。ならば、これ以上の汚染拡大は何とか阻止するよう政府関係者には死に物狂いで取り組んでもらいたい。

 

 

2011年7月16日 (土)

2020年、東京オリンピック招致正式表明なんて…信じられない。

 今日、石原東京都知事が2020年夏季オリンピックの東京招致を正式表明した。震災復興を名目にしているようだ。2016年の招致でも失敗し、莫大な費用を使ったことで各方面から避難された。そして4年後の立候補なんて。何でそんなにオリンピックに固執するのか分からない。やっぱり利権なんじゃないかと疑ってしまう。

 先日、2018年冬季オリンピックが韓国の平昌に決まったばかり。その2年後に夏季とはいえ、またアジアでの開催なんて、かなり現実味が薄いような気がする。私だって生きているうちに自国でオリンピックが開催されることは嬉しいけれど、今やろうとしていることは、震災復興を出汁に東京に利益を誘導しようとしていることではないのか?これが本当に東北の人の為になるのか。

 まだ、瓦礫の7割が片付いていない。義援金だって満足に届いていない。原発事故の収束だって目途が立っていない。(何でもステップ1とやらが目標通り行くといっているけど、あれだけ嘘八百並べてきた東電を全面的に信用するほど馬鹿じゃない)、こんな状態で東京オリンピック招致を言い出すなんて、私には到底理解できない。

 震災復興っていうことなら、仙台を中心に東北地方でやればいいじゃないか。あれだけの巨大津波に呑みこまれ甚大な被害を受けた地域が、日本の叡智と努力で立ち直った姿をありのままに見てもらいたい。その方が被災された方々の勇気にもつながるし、世界中の人々から応援される筈だ。出来れば2024年の東北開催。それなら私も賛成だし応援を惜しまない。

 

 

2011年7月14日 (木)

何回やってもMRI検査は緊張するなぁ(笑)

 左ふくらはぎの違和感がなかなか消えないので、MRI検査を受けることになった。これで通算4回目だけど、毎回、緊張するものだ。この検査を初めて受けたのが今から16年前。この時は腰痛でⅩ線検査でもよく分からなかったからMRI検査になった。

 検査室に入って金属物は外して、台に横になり固定される。そして、機械の中に入っていく。狭い、暗い。閉所恐怖症、暗所恐怖症の人なら耐えられないだろう。そして、機械が始動しはじめる。何かすごい音がしてくる。電子音とか振動音。よく工事現場で使われている削岩機の音ような感じで、頭の周りでガンガン鳴っている。別に体が痛くなるわけでもないけれど、精神的に追い込まれそうだ。耐えること約20分、初めてのMRIが終わった。結局、軽い椎間板ヘルニアと診断され、治療~完治と進んだ。

 それから2回は頭痛。頭痛だけならいいけれど、左手が痺れるから非常に焦った。ひょっとすると脳疾患になっているのではと真剣に思った。しかし、この2回とも徒労に終わり、結局は原因が分からず、休養を多くとるようにしたら治まった。精神的なものからきていたのかもしれない。ただ、検査をして異常がないと分かったから安心できたので、多少、費用は掛かったけれど、これはこれで良かったと思う。

 そして今回、5~6年ぶりぐらいで検査に挑んだ。調べるのはひざ下なので、頭まで機械の中に入らなくてもよかったから、圧迫感はないしヘッドフォンのような耳栓もしたので、今までに比べれば、一番楽だったのかもしれない。ただ、検査結果のことを考えると、あの音は不安な気持ちにさせる。しかしながら、結局、筋肉自体には全く異常がないということになった。良い検査結果だったが、だとしたら、この違和感は何が原因なんだ?

 やはり体重がありすぎて脚に負担をかけすぎて悲鳴を上げてるっていうことか?当分リハビリ生活とは縁が切れそうにない(笑)。

 

 

2011年7月13日 (水)

古賀茂明著「日本中枢の崩壊」を読んで

 古賀茂明さんはキャリア官僚で、現在、経済産業省大臣官房付という役職だ。ただ、この役職、素人には分からないが、ちゃんとした役職ではないし満足に仕事も与えられない閑職らしい。そして事務次官から7月15日までに退職するように求められている。そんな立場だから、こんな本も書けたのだろう。

 現役の官僚でありながら、公務員制度改革に真っ向から取り組み、昨年秋には参議院予算委員会で仙谷官房長官から恫喝されている。この本を読むと、現在の霞が関が如何に国民を向いて仕事をしていないかという官僚の生態がよく分かる。官尊民卑そのもので、正直言って、途中で読むのがうんざりするくらい酷いものだ。こんなことを本当に考えているのかとも疑ってしまうくらいだ。

 これまで何度となく公務員改革が叫ばれながら、それが実現しなかった。民主党は脱官僚を掲げ、天下り禁止等も打ち出し政権交代を果たしたがそれも幻に終わり、今や自民党政権の時と何ら変わらない状態だ。そうなった裏の経緯についても説得力がある。

 この本に書いてある彼の政策は、TPP以外、素人の私がみても国民の側に立った、国民の将来を考えた内容になっている。何故、こういう人を閑職に追いやり、辞めさせようとしているか?このことだけをみても、今の霞が関が彼にいろいろ暴露されることを怖がり、世論を恐れていることがよく分かる。とにかく氏の言うとおり、このままの状態が続けば、日本は衰退していくに違いない。真にこの国のことを考え行動する古賀さんを応援したいと思う。

 

2011年7月11日 (月)

光ファイバーがキター!。長年の夢が現実になった瞬間。

 今日、私の部屋に光ファイバーが敷設され、今、その快適さを味わいながらこのブログを書いている。私が最初に光ファイバーの実物を見たのは、今から25、6年前、大学のゼミでのことだった。

 当時、私は某大学で経営工学系のゼミに入り、テーマは「企業経営に情報技術をどう使うか」というものだった。私がゼミに入るまでは、コンピュータはメインフレームの時代で、電算室と呼ばれるところに、穴の開いたカードを順番に並べたものを持っていき、計算結果を出して貰っていたようだ。実際、生協でもカードは売られていたし、穿孔機もあった記憶がある。

 ちょうどゼミに入った時、当時では珍しくパソコンルームが開設された。当時としては最高スペックのNEC、PC9800F2が50台ほど配置され、LANでも繋がっていたように思う。パソコンなんて半分玩具みたいな感覚としか認知されてなかったものが、この16bitパソコンの登場でビジネスでも広く使われるようになった。何だか時代が変わるように思えたものだ。

 当然だが、ゼミの先生はそれより先を行っていて、HDD内臓のパソコンをいち早く操作していたり、ネットを使ったゲームなんかもやっていた。まだ、一般的にインターネットが始まる前だから、あのネットワークは何だったのか思い出せないけど(アーパネットかなぁ?)

、「今、アメリカ人と対戦してるんだ」なんて言うことを聞かされて、ワクワク感が高まったことは言うまでもない。

 その頃だったと思うが、「今、これは電話回線でやっているけれど、将来的には光ファイバーってものに変わっていくんだ」という話を聞かされ、1本が髪の毛ぐらいの細い線を見せてくれた。「膨大な情報を送るにはこれが主役なんだ」と言われたことが懐かしい。文系の人間ながら、将来はこんな風になるだろうなんて、真剣に語り合っていたものだ。

 当時、我々が想像していたこと、つまり、ユビキタス社会(いつでも、どこでもコンピュータネットワークに繋がる社会)は現実のものとなりつつあり、その基盤は光ファイバーや広域帯の無線になった。もはや、社会生活にインターネットは必要不可欠なものになり、更なる高速化が求められるようになった。この流れはどこまで続くか想像もできない。だけど、少なくとも、今日、光ファイバー回線を使っていることは、大学当時の夢が一つ叶ったような気がして、何となく嬉しい気分になっていることは言うまでもない。

2011年7月 9日 (土)

不安まみれの一週間。

 今日の話は、具体的に書いてしまうと、その人の名誉棄損にもつながりかねないので、私の心理状況だけを書いてみたい。私のことを知っている人はあのことだと分かるが、他の人には分からないようにしてみた。

 この1週間、ひょんなことからあるプロジェクトのサポートを行った。ここで感じたのは不安の一言だった。ベースとなる組織が機能しないまま、どんどん話が膨らんでいく。関係者が増えていく。え~っ、誰が調整するんだ。そんなこと具体的にどうするんだ・・・。全く読めない。

 予算を計算してみた。どうみても赤字。こんなプロジェクト見たことがない。この穴埋めはどうするんだ。ツッコミ所満載じゃないか?果たして資金提供者に説明できるのか?私が頭を痛めているのに、周りではあれをやろう、これをやろうっていう楽しい話ばかりが出てくる。さすがに、この感覚のギャップについていけない。

 それでも「何でそんなに後ろ向きなのか、不安なのか分からない」「今までこのやり方で通してきた」ということを言われる。私の感覚がおかしいのか?そんな楽天的な考え方でいいのか?結局、最後まで相容れぬまま、話は平行線となり、私はプロジェクトから降りることにした。しかし、どんなマジックを使ったのか、資金提供者はプロジェクト続行を認める。

 パソコンでも基本スペックに対応したアプリケーションしか動かないのに、人間だとそれを凌駕するのか。逆の意味で興味が湧いてきた。ただ断っておくが、別にこのプロジェクトが失敗に終わって欲しいと思っているわけではないので、これからの過程を見守っていきたい。

2011年7月 8日 (金)

災害派遣等従事者等証明書の相談に行って思うこと。

 災害派遣等従事者証明書。5月、ボランティアに行くまでは、これがボランティア活動をする人に対しても発行されることは知らなかった。これがあれば、高速料金は免除になる。私はボランティアに行くには時間、お金に余裕がないとずっと思ってきた。行きたいと思ってもかなり高い障害が立ちはだかるからだ。

 そんな中、この証明書はボランティアに行く人にとっては大変ありがたい。おおよそ、交通費の半分ぐらいは賄えるからだ。ところが、3月に震災が発生してから5月いっぱいは、自治体がかなり緩やかな基準で発行していたらしいが、6月からは厳格になったというのだ。多分、不正利用が多かったんだろう。

 これを取得するためには、まず被災地の受入承諾書を送ってもらわなければいけない。FAXでも良いらしいが、被災地の自治体やボランティアセンターの業務が増えることは確かだ。それに車検証、身分証明書は当然として、申請書類には同乗者のことまで書かなければならない。これらのことは、せっかくボランティアに行こうとしている人の気持ちを汲んでいるとは思えない。もっと簡略化できないものか。

 例えば、とりあえず発行しておいて、向こうのボランティアセンター発行の活動証明書を事後提出しなければ料金徴収のような形にすれば負担は減るのではないだろうか。何でこんなことを書くかというと、今回の震災は関西大震災より、ボランティアの数が3分の1という記事をみたからだ。ボランティア担当補佐官なんていう役職を作りながら、この数字は何?行きたい人はいるんだから、ハードルを下げる工夫はできないのか?もう憤懣やるかたない。

 マスコミだってそうだ。ボランティアの活動を紹介したり、旅行業者がツアーを企画していることは報道するが、この証明書の存在を明らかにしたものは見たことも、聞いたこともない。それなのにボランティアが足りないと煽りまくる。ネットではボランティアなんて所詮偽善だろうなんて雰囲気まである。

 今回、役所の担当者の方は本当に真摯に応対してくれた。先方でも、ボランティア来てもらえるなら少しでも負担を減らしてあげたいという気持ちが伝わる。でも、彼らを縛るものが存在し、それがこの非常時においても行われていることは事実だ。何百年に一度の災害で未曽有の危機にあるのに、平常時+αの対応しかとれないのは非常に悲しい。こういった杓子定規の対応が震災復興を遅らせているんじゃないか。「直ちに」改善を望む。

 

2011年7月 6日 (水)

強いものの味方をするマスコミに辟易する

 昨日、松本復興大臣が辞任した。就任後わずか9日らしい。原因はやはり宮城県知事に対する恫喝がまいの言動だろう。あれは見ていて非常に不快な気分にさせるし、国と県て主従関係だということがあからさまになった瞬間だった。

 ただ、この場面、東北放送が放映しなかったらおそらく誰にも分からなく、当初、他のマスコミが言っていたように、”叱咤激励”という表現で終わっていただろう。あのシーンが叱咤激励になってしまう、信じられない。結局、最後に大臣が言った「これオフレコだから、書いたらその社は終わり」という脅しに屈したばかりでなく、持ち上げるような表現になったのだ。本来ならマスコミは権力の監視の役目を持たなければならない筈なのに、その後の圧力を恐れて言うなりになってしまったのだろう。

 その後、東北放送やそのキー局のTBSが報道し、世論が”大臣、けしからん”というようになるにつれて、今度は大臣を総攻撃するということになった。まず、自分達が大臣に屈してしまった姿勢を国民に詫びてからにして欲しいものだ。

 こういうパターンは冤罪問題や検察問題、原発問題なども全て一緒だ。旗色を見て態度を変える、しかも、間違えていたことは謝らない。結局、国民のことよりも自分達が如何に上手くやっていくかとしか思えないのだ。とにかく今は何か問題発生すると、同じような論調になる。これが怖い。もうそろそろ、マスコミも自分達の姿勢を改めないと、そのうち痛い目に遭うよ。

2011年7月 1日 (金)

また出た~「ただちに~というものではない!」

 昨日、民間グループが福島の子供10人中全ての尿から放射性セシウムが検出されたという発表があった。それを今日、文科大臣が相変わらずのお役所ペーパーを棒読みしながら最後にこう締めくくったようだ(サンケイWebより)。

 原発事故発生以来、枝野官房長官が「ただちに影響はない」と繰り返し、今や流行語大賞を取る勢いすらある。まあ、それは冗談として、確かに今すぐには影響はないかもしれないけれど、将来的には何が起こるか分からないし、それが原発由来なのかどうかも分からないということだけは正しい。つまり、責任の先送り発言だ。

 だいたい文科省なんて子供の教育がメインであって、将来的な健康被害を防ごうなんていう意識が乏しいことは、いろいろな会見を聞いていれば分かる。とにかくこの人達は、今、何ごとも起こらなければ、それでいいんだ。今回だって、微量であるとはいえ、通常ならありえないものが少なくとも血液中には入っていた。つまり内部被ばくは確実だということだ。

 それでも「先生が線量計を持って・・・」とか「定期的に健康調査をやる」ということではぐらかすのだから質が悪い。普通、そんな環境下で日常生活をさせること自体が異常だっていうことが分からないのか。しかも、マスコミも知っていながら深く追求しようとしない。旧ソ連だって、今の日本の基準の1/4で強制移住させた。日本の国民に対する扱いは、本質的には旧ソ連より悪いということだ。何か書いていて空しくなってきた。誰かこの惨状を変えてくれる人は現れないものか。

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