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2011年9月 2日 (金)

南相馬災害ボランティア3rd【総括】今回のボランティア活動を通じて思ったこと

 昨日の夕方、全員無事に帰ってきた。責任者としては安堵している。とにかく予測がつかないのは事故や怪我だからだ。参加者全員がその意識を持って行動してくれたおかげだったと思う。

 今まで2回ボランティアに行ったが、その時と違うのは石巻や女川など、南相馬や相馬市以外の被災地に行けたことだ。石巻では市街地にもかかわらず、信号に電気が通っておらず警察官が手信号で誘導していたし、海沿いの市街地は壊滅的な状況だった。女川では、もう爆心地にいるかのごとく周りは破壊されつくされ戦慄を覚えた。さすがに写真を撮ろうという気にはなれなかった。

 南相馬市も5月の時から比べれば、いたる所にあった瓦礫の山もほとんど撤去され、災害ボランティアとしての活動(家財だし、泥だし、瓦礫撤去など)は縮小されつつある。9月10日で災害派遣等従事車両証明書の発行もなくなれば、遠くから来るボランティアも減っていくだろう。仮設住宅も着々と建設され、見た目にも次の段階に入っているようだ。これからは国や自治体が復興事業として地元企業に仕事を出し、雇用を生むような方向になっていくことが望ましい。

 ただ、他の被災地と違って、福島県浜通りにある南相馬市は放射能汚染という大きな問題を抱えている。街も警戒区域、緊急時非難区域、特定避難勧奨地点、何でもない区域と4つに分断されている。警戒区域の小高区は今もって入ることが出来ないから、ボランティア活動なんていつになるか分からない。

 そういう状況で必死な思いで復興に望もうとしている人もいれば、諦めてしまっている人もいるらしい。事故から半年近くも経ち南相馬の人達は、放射能に対してどういう対応をとるべきかの自己判断を迫られている。たしかに今現在は「直ちに影響はない」けれど、この先、5年、10年後、どういう影響が出るのか分からないということをよく知っているからだ。「家族内でも意見が分かれ、バラバラになってしまった家庭も少なくないんですよ。」という話も何回か聞いた。住む家がありながらもこうした事態に陥っていることに、私は何と励ましていいか言葉に詰まった。

 南相馬市では復興の象徴として、田畑にヒマワリが植えられていた。地元の方とボランティアの人達が種を蒔いたという。我々が行った時にはすでにピークを過ぎていたが、それでも壮観な眺めだった。それは人々に諦めてはいけないと投げかけているようにも思えた。完全な復興は何年かかるか分からないけれど、私はこの地を絶対に忘れない。「がんばろう、南相馬」

 

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