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2011年9月25日 (日)

30数年前、遭難しかけた話で盛り上がった夜。

 昨夜は小学校時代からの友人Aが実家に戻るというので、もう1人の同級生Bを加えた3人で久しぶりに飲んだ。途中、仕事中にもかかわらず友人Dも顔を出してくれた。皆、ボーイスカウト活動を通して同じ釜の飯を食った連中だ。いきおい当時の話になるのだが、やはり強烈な印象は西丹沢で遭難しそうになった話だった。

 我々が高校1年か2年の秋、リーダー1人を含めた8名で、丹沢湖を出発し山中湖へ行くことにした。ほとんどは林道を使い、山道と呼べるところはほんの数キロ程度なので1泊2日の行程なら何ら問題はない筈だった。天気も良くて初日は楽に宿泊地である”水の木”という場所に着いた。

 この辺り一帯は、車では林業関係者ぐらいしか入れないようになっているので、自然の宝庫である。江戸時代には、ここから切り出された木が幕府に献上されていたらしいし、その後もトロッコ列車のようなものが昭和20年代まで通っていた。そんな場所で満天の星空の元、食事をし、「心が落ち着くなぁ」なんて大人びた会話をしたものだった。

 翌朝は天気も良く体調にも問題はなかった。ここから山中湖に行くには切通し峠を使う山道と、明神峠まで林道を使いそこからは舗装された道路で三国峠を越えていく2つのルートがある。後者のルートは距離が前者の3倍ぐらいになるので、当然、昔から使われていた切通し峠越えを選んだ。お昼過ぎにはついて、山中湖畔で何かを食べる予定にしていた。

 歩き出すこと1時間。地図のとおり進んだはずなのだが、それらしき道が見当たらなくなった。間伐材が至る所に積み上げられている場所にきてしまったのだ。ここはどこだろう?一応、我々は読図法は勉強しているので、地図とコンパスを使って位置を確認した。まだ体力に余裕があったので、強引にでも目の前にある稜線まで登れば、きっと富士山が見えるだろう。そうしたら後は何とかなる筈だ。そう判断し、約1時間かけて稜線まで出てみた。ところが富士山の姿かたちも見えない。呆然自失。この時、強引に突き進んでいれば間違いなく遭難していただろう。

 リーダーの鶴の一声で、引き返してもうひとつルートを使おうということになった。ようやく分岐点まで戻る。お昼近くになっていた。15㎏程度の荷物を背負い道なき道を強引に登ったのだからかなり体力を消耗している。お昼過ぎには山中湖に到着する予定だったので、チョコレートや乾パン程度の非常食しか持っていない。お腹もペコペコである。

 それから先は一本道なので道に迷うことはないけれど、とにかく相当距離がある。しかも上り坂だ。もう皆無言で歩く。途中、誰かが倒れた。何とか立ち上がる。疲れているんだ。だけど、誰も手助けできない。延々と続く林道。ようやく道が開ける。明神峠だ。今にして思えば、ここから小山町に下る手もあったが、別のリーダーが山中湖まで車で迎えに来ることになっているので目的地を目指す。それから2時間ぐらい経っただろうか。フラフラになりながら夕方暗くなりかけた頃、目的地付近でリーダー達と合流することができた。皆、「助かった~♪」と安堵の声を上げたのは言うまでもない。

 その後の顛末は覚えていない。だけど、3人揃って、この体験が一番辛かったと30年以上経った今でも語るのだから、「これは一生モノの話だな」何て笑いとばした。気が付けば夜の11時を過ぎている。明らかに飲み過ぎで二日酔いは必至だが、たまにはこんな夜も良いもんだ。

 

 

 

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