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2011年12月

2011年12月31日 (土)

2011年を振り返って。

 早いもので激動の2011年もあと5時間を切った。今年は震災、原発事故、これが全てだった。私も48年生きてきて一番印象に残った1年になった。

 新年早々、退路を断って診断士として独立を試みた。4月頃までは知識補充をしようと考えて、クラウドコンピューティングについて勉強していた。その矢先の震災・原発事故だった。部屋に居てタンスや本棚が大きく揺れて、しかも、時間が長かった。最初は東海大地震かと思って急ぎNHKをつけたところ、東北の太平洋沖が震源でマグニチュードは確か7.8ぐらいだったように覚えている。そのうち大津波警報が出され次々と入ってくる映像に驚愕した。それに加えて、原発事故の発生。この世の終わりかと思った。

 毎日のように流れる津波やその被害の映像を見せつけられ、せっかく時間があるのだからボランティアに行かなければいけないという想いが強くなった。ただ災害ボランティアには行ったことがなく、手持ちのお金もあまりない状況で悶々とした日々が続いた。そして自分の48回目の誕生日前日、「FROMあしがら」というグループを知り、GW後、初めて南相馬市に行くことが出来た。

 そこで見た津波被害の状況はテレビ映像で見た印象とはかけ離れていた。海は遥か彼方で全く見えないのに2M近く水が来ていて、あちこちに船が横たわっていたのには唖然とする以外なかった。我々は一生懸命頑張ったけど自然の前には無力で、とても数日居ただけでは片付かないことを実感した。そして、個人的には物見遊山のような気分になってしまったことを反省し、それから2回ほど足を運んだ。

 初回は宿泊地と現場を往復するだけだったので、現地の実態は分からなかった。だけど、2回目、3回目は現地の方々や、他のボランティアの方々ともお話をする機会があり、ようやくボランティアとしての充実感を得ることができたように思う。でもそれは、単なる偽善だったのではないかという葛藤に悩んだ。このあたりのことはブログに切々と書いていた。

 9月から、心を入れ替えて頑張ろうと思ったけれど、燃え尽き症候群になってしまったかのようにテンションが上がらなかった。結局、そのままズルズルと年末を迎えることになってしまった。本当にだらしない奴だ。できるだけシンプルな生活を続けてきたけれど、さすがに資金もイエローゾーンに突入してしまった。11月頃からは焦燥感に見舞われる。どうしよう?

 個人的には死に物狂いで取得した資格だ。これを活かせなかったら何のために苦労したのか分からない。ひょんなことから昨年までお世話になった会社の社長に会い、繋ぎでもいいからまた働いてみないか?とお誘いを受けることが出来た。来年は何とか食い繋ぎ新たなチャンスを見出そうと考えている。毎年のように「今年は正念場!」と思ってきたけれど、もう後がないという意味で本当に正念場を迎える。どこまで気力が続くか、それに全てがかかっている。

2011年12月30日 (金)

興味津々、いつまで続く?日本レコード大賞!

 今年もあと30時間を切った。私はほとんどテレビを観なくなってしまったが、テレビ欄だけは見ている。もう歳だからなのかもしれないけれど、これは絶対見たいという番組もほとんどなくなってしまった。年末年始の番組もしかり、ここ十年間ぐらい似たようなコンテンツが並んでいるので、飽きてしまったのかもしれない。

 特に「輝け!日本レコード大賞」は昨今の音楽事情を考えると、その役割はとうに終わってしまったんじゃないかと思うのだ。個人的な認識だと、この賞はその年の中でもっとも国民に親しまれた歌に与えられるのだろう。しかし、音楽を聞くこと自体、その趣向は多岐に渡り、特定の曲に絞ることが難しいのではないか。 もはやレコードという言葉自体、ほとんど聞かなくなり、おそらく一番熱心に音楽を親しんでいるであろう10代~20代にかけては、CD購入よりネット配信の割合が多くなっている筈だ。ヒット曲形成の状況が以前とは全く違うのだ。

 単にCDの売り上げだけで判断するなら今年はAKB48になる。だけど、一方では熱狂的なファンがおまけ目当てに一人で何枚も購入しているからの売上枚数であって、曲自体が本当に浸透しているわけではないとみる向きも多い。別にその商法自体は構わないけれど、音楽を純粋に楽しむということからは逸脱しているように感じてしまう。そして何より、アーティストの受賞辞退が年々増えている。我々、ユーザー側が感じている以上に楽曲を提供する側がその賞に魅力を感じていないのだ。だんだん実態とかけ離れていくような気がする。

 まあ、これは私の主観であって、年末恒例行事だし意味なんかなくてもお祭りみたいなものだから構わないという方だって多いだろう。嫌なら観なければ良いと言われてしまえばお終いだ。そう考えると、どういう理屈でいつまで続くのか、逆に興味が出てくるのだった。さて、来年はどうなるだろう。

 

 

 

2011年12月28日 (水)

国民との約束を平気で反故にする民主党政権は一日も早く崩壊して欲しい。

 普通の人間なら、人との約束を守るのは当然だ。仮に止む追えず約束を破った場合は謝って許しを請うだろう。ところが民主党政権というのはそうではないらしい。あまり政治のことは書きたくないけど、もう頭にきたので思いのたけをぶつけることにした。

 今日、民主党の議員9名が離党して新党を立ち上げるという。2年前に掲げたマニフェスト違反が次々と行われ、八ツ場ダム建設再開、消費税増税が引き金になったということだ。あの衆院選の時、「マニフェストは国民との約束」と訴えていた。ところが、野田政権になって露骨にその約束を破棄し続けている。「国民の生活が第一」というのは雲散霧消し、国民に負担を押し付ける消費税増税を不退転の決意でやるらしい。しかも国民に「約束を破ってすみません」と謝りもしない。それどころか正当化しようとしている。

 野田さんは松下政経塾の出身者だけれど、この塾は詐欺師養成塾なのか。前原政調会長といい、どうやったら国民を騙せるかということを粛々とやっているようにさえ思えてしまう。少なくとも国民との約束と違うことをやろうとするなら、国民に信を問うべきだろう。彼らが野党時代は常にそう言っていたはずだ。一旦権力を握ってしまえば、何をしても良いのか。

 先日、国は野田総理の対談を大手新聞に出した。費用は約3億円らしい。こうやって大手マスコミと持ちつ持たれつの関係を作っていく。戦時中の大本営とマスコミの関係と似たようなものじゃないか。今回の離党にしても、本来なら国民との約束を平気で破っている執行部を批判すべきなのに、離党する議員が小沢議員に近いというレッテルを貼って揶揄する始末だ。もう完全に裏切られた。許さない。私はテレビで野田政権の面々の顔を見るだけで不愉快な気分になる。一日も早くこんな政権は潰れて欲しい。

 

2011年12月26日 (月)

とうとう井戸水からもセシウムが検出されたか。

 南相馬市の4か所の井戸水からセシウム検出された。(毎日jp)http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227k0000m040028000c.html

 個人的にはこの記事の環境省のコメントが気に入らない。「セシウムが付いた付近の土が混ざった可能性があるという。井戸は個人所有で、結果を知らせており、多くの人が飲む恐れはほぼない。」

 またしても過小評価している。確かに人が飲む恐れはないだろう。でも、それだけでいいのか?すでに土壌汚染が深刻な状態になっているということはないのか?あるいは地下水脈が汚染されつつあるかもしれないというのではないのか。とにかくあらゆる可能性を否定しないというのが危機管理の鉄則ではないのか。

 昨日も放射能汚染の食品のことについて書いたけれど、安全だというなら、まず国の機関、少なくとも経産省、厚労省、環境省、文科省の役人達は、出先機関を置いて家族ともども責任者はそこに住むべきだ。また、お墨付きを与えた学者もそこに行け。話を聞くのはそれからだ。

 

2011年12月25日 (日)

「『福島産』を積極的に買う70代女性」という記事を読んで思うこと

 今日の日刊SPAにこんな記事が出ていた。「『福島産』」を積極的に買う70代女性http://nikkan-spa.jp/106701カタログハウスの店、新橋店では独自に放射線量を測る機械を購入し、食品の放射能数値を表示しているのだという。そのことが顧客の信頼に繋がり、数値の表示がある商品でも、放射線の影響が少ないとされる70代の人達がかなり購入していくらしい。これは良い取り組みだと思う。

 行政機関から闇雲に「基準値を下回っているから安全です」なんて言われたって、その後、何度となく基準値超えの食品が見つかるから、普通の感覚なら信用しない。国の暫定基準値だって怪しく思えるのも確かだ。今、消費者側としては正確な数値が欲しいのだ。311以前は放射能のことなんて、私を含めてほとんどの人が意識していなかったけど、9か月も経てば相当情報量が増えてきて、冷静に判断できるようになってきたからだろう。

 24日の朝日新聞ネット版によれば「22日の厚生労働省の審議会で了承された新基準案は、穀類や野菜、肉、魚などの食品が1キログラムあたり100ベクレル、乳児用食品と牛乳は50ベクレル、飲料水が10ベクレル。これまでの暫定規制値は、食品が500ベクレル、牛乳や飲料水は200ベクレルだった。新基準は原則として来年4月から適用される。」とある。

 正直な感想としてはこの数値だって怪しいものだ。おそらく海外には輸出できない数値だろう。そして、何で来年の4月から適用なのか?結局、「新年度」というお役所の都合に合わせたもので、国民のことを考えたからではないようにしか思えない。こういうことばかりやっているから、信用されないんだということが、お役人には分からないのだろうか。あるいは(信じたくはないけれど)、自分達さえよければ良いという人達の集まりなのか。

 少なくとも自分達がこの基準で安全と言って憚らないのだから、国会や霞が関の食堂では福島県産の食品以外使わないようにするくらいの取り組みをして初めて、国民からの信頼が得られるのではないだろうか。

2011年12月24日 (土)

4日間、葬儀の手伝いをして思ったこと。

 この4日間、長年お世話になった方の父親の葬儀を手伝った。具体的には親族に混じり、式の段取りから様々なドキュメント作りを一貫してサポートした。式の最中は親族と各係の方との連絡役だった。私も何度か葬儀を出す側の経験はある。しかし、故人は地元の名士だった方で交際範囲も広く、大勢の参列者が見込まれたので準備は大変だった。一番苦労したのは告別式の後に行われる忌中払いの人数を確定することだった。

 間違ってもお声をかけた方の分の料理が足りなくなってはいけないし、かといって多目に頼んでしまえば、余り過ぎてしまう。この席に呼ばれるのは、故人や親族に近しい方々だから事前に確認するのだが、それでも突然来れなくなったり、どうしても故人を偲びたいので増やして欲しいなんていうこともある。まして、今回はお寺に入りきれるかどうかと思うくらい大人数だったので最後まで緊張した。でも、そういう苦労の甲斐もあって、業者さんが「凄いです」と言ってくれるくらい、ほとんど余ることはなかった。

 順番さえ間違えなければ、いずれ私も両親を見送ることになる。今回、親族側の立場としては客観的に葬儀をみることができたのは、ある意味、貴重な経験だった。やはり葬儀は段取りと役割分担、それと確実な連絡だ。あとは参列者への気配り、これさえ出来れば大きく失敗することはない。ただ、もう少し葬儀中に親族が故人を偲ぶ時間が出来ることが望ましい。

 葬儀とは不思議なもので、今では疎遠になっている人々を呼び寄せる。そして、各々が近況を語りあう。それは故人を偲びつつ、過去、そして現在を確認する場なのかもしれない。今年の漢字は「絆」だったけど、親族やそれに関わる人間関係の絆をあらためて感じることができた4日間だった。

 

2011年12月21日 (水)

昨日、小説家や漫画家が「自炊」代行業者を提訴したことについて思うこと。

 昨日、小説家や漫画家が「自炊」代行業者を著作権侵害を理由に提訴した。このニュースを聞いた時、非常に複雑な気分になった。個人的にはどちらとも言えないからだ。私自身、本は好きだけれど、経済的な理由で、なかなか単行本の新刊に手が出せなくなった。最近はほとんどが、BookoffかAmazonの中古品を利用している。罪悪感がないわけではないけれど、背に腹は代えられないのだ。廉価で電子書籍が購入できれば、まっさきに利用してしまうだろう。

 今はインターネットの普及によって、音楽はCD購入からネット配信の流れになっている。アメリカではネット配信の方が上回ったと聞く。書籍も同じで、ipadやkindleの普及によって、電子書籍化が進んでいる。もはやこれは止めることが出来ない。

 日本でも音楽ではネット配信が進んでいるが、電子書籍はあまり広がっているようには思えない。著名作家が認めていないというのが大きな理由のようだ。確かに電子化されてしまえば、いくらでもコピーが出来てしまい今までのようには売れなくなる。そうなると、作家としての食べていくのが難しくなるからだ。音楽の場合は、まだライブやコンサートといった生演奏で活路を見いだすことが可能だけれど、書籍の場合はそう簡単にはいかない。作家の創作意欲が減退すれば、将来、このコンテンツの消滅に繋がりかねないのだ。

 でも、どうなんだろう。ただでさえ本を読む人が減っているのに、新たなチャネルを封じ込めてしまって良いのか。スマートフォンやタブレット端末で読めるとなれば新たな購買層を増やせる可能性もある。上手い仕組みで対応できないのだろうか。例えば、今、電子書籍と言えば、本のイメージごとまるまるダウンロードだけれど、動画のようにストリーミング配信するようなことは考えられないか。またはクラウド上に書籍を置いて、IDやパスワード、暗号キーを入力して読む仕組みという方法は駄目なのだろうか?いずれにしても作家が十分食べていく仕組みができれば、この問題は解決するように思う。この訴訟の流れには注目していきたい。

 

2011年12月20日 (火)

紅白歌合戦の歌唱曲が発表されたけれど・・・。

 紅白歌合戦は古き良き時代の日本文化だった。映画「駅~Staion」で倍賞千恵子扮する居酒屋の女将と、訳ありの高倉健がカウンターを隔てて一緒に八代亜紀の「舟歌」を聞くシーンには憧れたものだ。 今や紅白歌合戦というのは、大みそかに歌の上手い歌手が誰でも知っている曲を歌って、年を締めくくるという位置づけになってしまったのかもしれない。もっとも今までは紅白で初めて聞く曲なんていうのも良くあることだったので、それなら知っている曲を歌ってもらった方が良いということなのか。また歌手の選定でも、満足に歌っていない人が選ばれたりして、もう、何が何だか分からなくなっている。

 今日、大みそか恒例、NHK紅白歌合戦の歌唱曲が発表された。私がもう歳なのか、昔の曲を除いて知っている曲がない。そして自分の曲ではないのに代わりに歌うというのも何か違和感を感じる。少なくとも歌手の持ち歌を歌うのが筋だろう。たとえ紅白に出れたとしても、自分の歌が歌えないというのでは、果たして意味があるのだろうか。 

 個人的には21世紀に入って音楽業界は大きく変わってきたように感じる。音楽番組が少なくなったせいもあるけれど、それまでは少なくとも年に数曲は全世代に共感されるものがあった。だけど、今は趣向が多様化し一律では括れなくなってしまった。音楽自体もCDで販売されるよりも、ネットで配信されるケースが増えてきて何がヒット曲なのか実態が掴めないようになってしまった。もはや、国民的ヒット曲が生まれる土壌はなくなってしまったのかもしれない。ある意味悲しい話だ。

 腐っても鯛。それでも紅白は視聴率40%前後の数字を稼ぎ出す。音楽プロダクションにとってはこれ以上の広報機会はないし、年末、家族が総出で見られる番組も皆無だ。。スポンサーの意向が影響しない紅白歌合戦はその趣旨を巧みに変えながら、一つの日本文化を残すという意味で続いていくのだろう。

 

 

 

 

2011年12月19日 (月)

金正日総書記死去のニュースを聞いて思うこと

 私が北朝鮮に関心をもったのは、今から約10年前、「北朝鮮を知りすぎた医者」という本を読んでからだと思う。北朝鮮国内、特に地方では、悲惨な状況なのかというのが赤裸々に書かれていたからだ。そして拉致問題が明確になり、小泉訪朝という流れになる。その後、核実験やミサイル実験等々で我々の神経を逆なですることになっていく。それでも問題解決が遅々として進まない状況に関心も徐々に薄れていった。

 そして今日の正午、全世界に北朝鮮の金正日総書記死去のニュースが流れた。報道によれば、一昨日、現地視察に向かう列車の中、心筋梗塞を起こして亡くなったというものだ。死因や時期についての信ぴょう性は不透明だが、死亡したことは確かだろう。

 各メディアは北朝鮮ウォッチャーとも呼ばれる識者を呼んで、これからどのような展開になるかを予想している。主なテーマは拉致問題、核兵器、後継者問題だ。確かに識者の言われることは納得できそうなのだが、この10年間、この方々の言っていたことのようには動いていない。政府の対応が悪いという面はあるけれど、あれだけ貧困だと言われながら、何故、核実験やミサイル発射実験なんてできるのか。中国が裏で支援しているという情報もあるようだが不思議でならない。

 これを機に拉致問題解決に動いて欲しいけど、蓮池透氏によれば、政府は北朝鮮とのパイプが無いと言っているようだから、一朝一夕には動きそうにない。何といっても、マニフェストを平気な顔で反故にする政権だからとても期待できない。残念ながら、個人的には、表面上は今までと何ら変わらない状況が続いていくような気がしてならない。私の予想が外れてくれることを願う。

 

 

 

2011年12月18日 (日)

東野圭吾「天空の蜂」を読んで思うこと。

 この小説が刊行されたのは今から16年前だ。恐らくその当時手にしていても普通のSFミステリー小説で終わっていたかもしれない。しかし実際に原発事故が起きた今となっては手に汗握る気持ちでページめくっていった。

 背表紙に載っているあらすじは「奪取された超大型特殊ヘリコプターには爆薬が満載されていた。無人操縦でホバリングしているのは、稼働中の原子力発電所の真上。日本国民すべてを人質にしたテロリストの脅迫に対し、政府が下した非常の決断とは。そしてヘリの燃料が尽きるとき・・・。」となっている。

 何より東野氏の凄いのは、原発の内部構造はもちろん、反原発運動のこと、電力会社の対応、原発作業員のこと等々、原子力発電所に絡む様々な問題点について、こと細かく描かれていることだ。これを読むと、当時も現在と同じような問題を抱えていたんだなぁということがあらためて分かる。

 そして、事件発生から解決までが10時間程度の話ということもあるけれど展開がスピーディだ。刻々と迫る恐怖に心が揺さぶられる。ただ正直言って、こんな大それた犯行の割には動機が弱いような気もする。いずれにしろ、今だからこそ読んでおきたい作品で読後満足感は高い。

 蛇足になるが、東野作品は映像化されているものが多いけれど、さすがにこれは難しいだろう。技術的には全く問題ないけれど世間がどう反応するか。何と言っても日本は言霊の国。この小説を真似て事件を起こすことは出来ないだろうけど、不安を煽ることは間違いない。そうなると、すぐ「不謹慎だ!、けしからん!」ということにもなりかねないからだ。まあ、小説の映像化は当たり外れが大きいから、自分の頭のスクリーンで我慢する方がベストなのかもしれない。

 

2011年12月17日 (土)

「冷温停止状態宣言」は想定内だったけど、「事故収束宣言」は想定外だった。

 昨日、「首相会見を聞いて思うこと」というタイトルで書こうと思っていた。だけど、あまりにも呆れ返る内容で怒りを通り越して失望感の方が強かったので、カキフライのことに切り替えたのだった。

 「冷温停止状態」なる造語は、詭弁の最たるものだと思っていたし、政府の広報機関である官邸記者クラブメディアが、昨日発表すると書いていたので驚かなかったけれど、「事故収束」まで宣言するとは思ってもみなかった。そして、国と東電の統合会見も昨日で打ち切られた。これも大手マスコミからの依頼ということらしい。細野大臣が言ったのだから間違いないだろう。

 だいたい、まだ毎時6000万ベクレルの放射性物質が放出されていると認めているのに「事故収束」なんて良く言えたものだ。1号機に関してはカバーがかけられているけれど、2、3号機なんて原子炉建屋に人も入れない状況じゃないか。溶けた燃料だって、どこにあるのか、どんな状態なのかも分からない。誰が収束したと思うのだろう。少なくとも海外メディアは一様に懐疑的な見方をしてる。

 もう菅政権も野田政権も、私自身は詐欺師軍団にしかみえない。少なくとも重要閣僚と呼ばれる人がテレビに出てくると、すぐに消すかチャンネルを変える。また詭弁を吐き国民を騙しているのかと思うと、頭にきてテレビに物を投げて壊しかねないからだ。まともな政権じゃないんだから何回変わったって良いじゃないか。早くこんな欺瞞に満ちた政権は潰れて欲しい。

 

 

2011年12月16日 (金)

自分で作ったカキフライ。まだ工夫が必要だ。

 先月中旬、首の後ろにオデキができてしまった。それを治療する際、油っこいものは極力控えるようにと医者から言われた。気弱な自分は最低限のところは守り、先週抜糸も済み治療終了となったところで、無性にカキフライが食べたくなった。どこかのお店で食してもよかったのだが適当なところが見つからなかったので、自分で作ってみることにした。

 20年ぐらい前、確か一度作って食べたことがあったが、あまり美味しかった記憶がない。そこで、今回はネットで調べて取り掛かることにした。シンプルな料理なので、どのページを見てもあまり変わらない。だけど、下ごしらえの仕方だけ分かれた。塩水で洗うだけのもの、大根おろしを使うもの、一度湯通しするものだ。私は湯通しを選んだ。

 一度、塩水で洗い、30秒ぐらい湯通しした。あとは薄力粉を全体にまぶし、溶き卵に通し、パン粉をつけて揚げる準備完了だ。油はエコナを使う。きつね色になるまで火を通す。完璧だ。ただ、見た目が何か違う。衣は剥がれていないけど、パン粉の揚り具合がイメージと違うのだ。

 

 食べてみると、ちゃんと揚っているし中身もそれなりに美味しいのだけれど、イマイチ、サクサク感がない。考えれるのはパン粉か。太るのが嫌で、”油の吸収を30%カット”と書いてあったパン粉を選んだからかもしれない。まあ、大失敗したわけではないから落ち込んではいないけれど、挑戦意欲は湧いてきた。やはり食いしん坊なんだな(笑)。

2011年12月14日 (水)

何で事件でも事故でもない、こんなことが報道されるのか。

 昨日、たまたまだけど、こんなニュースを目にした。「トイレ行かせて」江ノ電バス運転手が乗客残しファミレスへ - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111213/crm11121318390010-n1.htm

 昨日は速攻でツイートしたけど、今日になって、この記事が産経が最初ではなく、朝日の神奈川版を後追いしたものらしいことが分かった。紙面は購読していないので、実際に掲載されているかどうか分からないが、いずれにしても、こんなことをニュースにするのは如何なものなのかと憤慨した。

 運転手がトイレに駆け込んだことが原因で、事故や事件を引き起こしたというなら分かる。だけど乗客には説明しエンジンを止め、輪止めまでして行った。しかも、乗客から苦情も出ていないのだ。そして、これは産経の方には書かれていないのだが、停車していた時間は僅か数分だという。この時間を書かない時点で悪意を感じる。いったい何がいけないというのか。あなた方は聖人君子なのか。産経新聞はこのことを伝えることで何が言いたかったのかよく分からない。

 とにかく原発事故以降、今までまことしやかに言われていた大メディアの悪辣さが浮き彫りになってきた。政治家の揚げ足取りや言葉刈りは言うに及ばず、原発関係では大本営発表を繰り返すありさまに辟易としている。しかも自分達の非は認めない。だから、私などは客観的な情報しか信用しないようにしている。そして、今回の記事は私には弱い者いじめとしか思えない。今の殺伐とした空気を作っているのは、こういう連中なのだろう。

2011年12月13日 (火)

東野圭吾「どちらかが彼女を殺した」を読んで。(若干ネタバレあり)

 先月来、東野圭吾氏の作品を10冊ぐらい読んだ。東野氏の作品は一文が短く、主述の関係がはっきりしているから読みやすい。(私も文章を書くためにいろいろな本を読んだ結果、出来るだけ一文は60字~70字ぐらいに収まるようにしている。)

 本当は白夜行、幻夜、流星の絆等の作品について、その感想を書きたかったのだがネタバレする可能性があるので出来なかった。ミステリーでこれをやったら最悪だ。もし、書くとしても背表紙に掲載されていることだけだろう。だから、誰でも見られるブログに本の感想を書くのは難しい。

 今回、読んだ「どちらかが彼女を殺した」はミステリーとは異色の作品だ。内容は「最愛の妹を殺害された警察官の兄が妹の復讐のため、2人の容疑者に絞り込む。それを阻止しようとする刑事。殺したのは2人のうち、どちらか?」というものだ。個人的にはミステリーは動機とトリックを主に置いている。ただ、読めば、どちらも動機があり、しかも複雑なトリックと言えるものは特にない。

 そして、何と最後の最後までどちらとも犯人ととれるようなことになっていて、結局、犯人の名を明かさずに終わるのだ。これは犯人を読者に考えさせることを目的としているらしい。でも正直言って「えっー、こんなのあるの?」とフラストレーションが堪る。実際、単行本が発売された時には出版社にどちらが犯人なのか問い合わせが殺到したようだ。そのため文庫化された際、巻末に推理の手引きなるものが付いた。

 ただ、それでも犯人の名ははっきりと示されていないのだから悩む。仕方なくネタバレしているブログ等を漁って理解する羽目になった。個人的にはある事実をもとに推理して犯人を決めたのだが、犯人自体は当たっても、その推理は間違っていたようだ。とても歯がゆい。でも、ミステリーなんていうものは、自分の予想を裏切るから面白いのであるから、こういう趣向もたまには良いなと思う。 

 そして、懲りずに「私が彼女を殺した」という同タイプの作品を読み始めた。今度はちゃんと推理できるだろうか?楽しみである。

2011年12月12日 (月)

今年の漢字は「絆」と発表されたけど、私が考えた漢字は「壊」だった。

 1995年から始まった「今年の漢字」。2011年は「絆」になった。震災の際、人々の絆が大切だということを再認識された方々が多かったからなのではないだろうか。出来るだけ前向きに考えていこうという表れなのかもしれない。そのこと自体に異論を唱えることはない。

 ただ、日本は言霊の国だという。「縁起の悪いことを言ってそのとおりになるといけないから言わない」。確かに一理ある。でも臭い物に蓋をしたり、現実を直視しないで、とにかく頑張る。その一端が、今年の漢字に表れたような感じもする。

 私自身が考えた今年の漢字は「壊」だった。大地震や津波による大地の「破壊」、原子力発電所の安全神話の「破壊」、国や東電に対する信頼の「破壊」、マスコミ報道の信頼性への「破壊」、専門家への信頼の「破壊」、とにかく、今まで信用してきたものの多くが破壊されたといってもいい。

 今年は私も生まれて初めて被災地へボランティアに行き、あの惨状を垣間見て、今までの人生観が破壊された。ありきたりだけど「幸せ」とは何なのか、自分の存在意義は何なのか、を考えさせられた。しかし、未だ結論は出ていない。おそらくそんなことは死に際に分かることなのだろう。今はただ、自分に出来ることを精一杯やるということしかないだけだ。少なくとも年内にはビジョンを出さなければ、来年、満足に生きていくことはできないと考えている。

 

 

 

 

2011年12月11日 (日)

吉田所長の病名が「食道ガン」という報道について思うこと。

 早いもので、今日で震災から9か月が経過した。当然の事ながら報道量は減りつつあり、遠い過去のような気さえしてくる。原発事故も巧妙な言葉のすり替えや除染神話によって、既に収束しているかのように錯覚する。本当の恐怖はこれから始まるのに・・・。

 そんな空気の中、9日、福島第一原発の所長の病名が「食道ガン」であると公表された。11月末の所長退任時には、プライベート問題云々で明かさなかったが、憶測記事や病院への過激な取材攻勢を避けるための手段だったのだろう。そして、またしても専門家という方のコメントとして、「原発事故の放射能漏れよる被曝が原因とは考えにくい」ということが書いてあった。

 まあ、確かに、我々が想像できないくらいのストレスはあっただろうし、相当疲労も蓄積していたはずなので、そういった因子が重なって発病につながったかもしれない。ただ、今年くらい専門家と呼ばれる人の信用性が失われた年はなかったのだから、何となく腑に落ちない感覚を覚えても仕方ない。結局のところ、この程度(70mSvと言われている)の被曝では、ガンと被曝との因果関係なんて分からないということだ。

 因果関係が分からない、あるいは、ハッキリしない、ということは、将来、被曝した方々の中で健康被害が出たとしても、その責任は国や東電が負わなくても良いという免罪符になる。証明する方法があれば別だが、おそらく白黒つけるだけの方法なんてないはずだ。裁判所だって大きな誤りがない限り恐らく政府側につく。実はこれが怖い。こんなところにも自己責任か。吉田所長の早期健康回復をお祈りする。

 

2011年12月10日 (土)

年賀状の作成について思うこと。

 今日、年賀状を作成した。パソコンが普及した現在、比較的簡単にできるのは嬉しい。ただ、受け取る方の印象としては手書きに勝るものはないので、せめて一筆加えるようにしている。

 パソコンを使いだすまでは、年賀状作りは億劫な作業だった。子供の頃は、版画や墨流しをやったことがあるけれど、大人になるにつれて枚数も増えてきてきてしまったためだ。まして年賀状の受付開始日に出したこともなければ、何年か送らなかったこともある。

 そのうちパソコンを持つようになり、プリンターもカラーが普及し始めた頃、年賀状に挑戦した。windows95が発売された頃かもしれない。ただ、当時はプリンターの速度が遅かった。宛名は比較的早かったけれど、デザイン面は非常に遅くて、1枚2分ぐらいかかっていたような気がする。プリンターなんて毎年買い替える訳ではないから、数年はその遅さを我慢しなければならない。

 今、使っているプリンターもすでに5年ぐらい経ち、修理も2回出している。速度は高性能印刷モードにしなければ何とか耐えられるスピードなので、今度壊れた時が買い換え時と考えている。でも普段、滅多にプリンターは使わないから、もっと長い間持って欲しいものだ。

 昨今は年賀状の代わりにメールのやり取りで済ませてしまう人も多いらしい。時代の変化だからそれは否定しないけれど、やはり、普段、お会いできない方々には、安否確認も兼ねて、年に一回ぐらい賀状のやり取りがあったほうが良いように思う。私もこれから数日かけて、宛名を見ながら一筆加えていこう。

2011年12月 7日 (水)

「苦役列車」(西村賢太著/新潮社)を読んで思うこと

 この小説は、去年、西村賢太氏が芥川賞を受賞した時のコメントが面白かったので読んでみたかった。ただ、紹介文には、友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫多。或る日彼の生活に変化が訪れたが……。』と書いてあったので、たぶん暗い話なのだろうと思い少し躊躇していた。

 しかし、今、私もいろいろなジレンマに陥り、出口が見えない状況が続いているので、何かのきっかけになればと思い読むことにした。(もっともブックオフで安く買えたということもあるけれど)。

 この話は私小説とのことだが、筆者は本当にこんな人生を歩んできたのだろうかと思うくらい悲惨な話だ。ただ、あまり暗さは感じない。それは主人公自体が自堕落で、そのために落ちる所まで落ちているからだ。そして彼自身、その生活に満足しているかのような感じがするからだ。何度かやり直すチャンスもあるが、それもモノに出来ない。本当にどうしようもない奴だ。ただ何故か憎めない。

 それは一歩間違えば、私も似たような道に進んでいたかもしれないからだ。他人に対する劣等感は案外似ているかもしれない。思い切って突っ込めば上手く行かない。いつになったらこの生活から抜け出されるのか、自己嫌悪に悩まされる。こういった点では、何か私の影の部分が晒されているように感じたのだった。

 果たして、これを読んで私の出口が見えるようになったかどうかは分からない。ただ、どんなことをしても生き抜くという気概は持てたような気がする。

 

 

2011年12月 6日 (火)

粉ミルクからセシウム検出のニュースを聞いて思うこと

 今日、明治乳業が自社の粉ミルクから30.8Bq/㎏のセシウムが検出されたとして、該当するであろう40万缶の回収に踏み切ると発表した。生乳は311前の北海道産だったらしいが、春日部工場での乾燥工程で混入したのではないかという見解を述べている。

 もっとも国が定めた暫定基準値は200Bq/㎏だから、良心的という評価できるという人もいる。だけどWHOの基準だと10Bq/㎏だし、チェルノブイリのあるウクライナでさえ100Bq/㎏以下なんだから、この基準値がいかに高い値で信用できない数字であることは明白だ。しかも、明治が発表する前に民間機関が発表しているらしいから、余計懐疑的になってしまう。

 国は「基準値を下回っているから安全だ。買わないのは風評被害だ。」と相変わらず言い張るかもしれない。だけど、311の原発事故前に「セシウム」なんていう物質のことはほとんどの国民は知らなかったし、仮に検査しても未検出だったのだから、恐れて当然である。しかも、今、さかんに安全を吹聴している役人やマスコミの連中は、将来、仮に健康被害が出たとしても、何ら責任を問われる立場にはいない可能性が高いのだ。だから余計、不信感が増幅される。

 5月以降、私が覚えているだけで、牛肉、お茶、シイタケ、福島産のコメ(4地域)、牛乳、缶詰、その他、魚介類等々、様々な食品の放射能汚染が明らかになった。留まるところを知らない様相だ。おそらく親御さんたちは疑心暗鬼な気持ちで一杯だろう。非常に嫌な世の中になってしまった。

2011年12月 4日 (日)

福岡国際マラソンを見て思ったこと。

 今日、男子マラソンロンドン五輪代表選考も兼ねた福岡国際マラソンをテレビ観戦した。まずは、ケニアの選手の凄さに圧倒された。優勝したダビリ選手は今回が初マラソンで、2時間7分36秒のタイムを出している。私の記憶が確かなら、この数年間、日本人で8分切った選手はいないのではないか。しかも、このダビリ選手の記録ではおそらくケニア代表にはなれないだろう。

 ケニアなんて、世界最高の2時間3分38秒を筆頭に5分台記録している選手が10人ぐらいいるのだ。何て層が厚いんだろう。今日のレースで日本人トップに立った川内選手の記録が2時間9分57秒。ダビリ選手とは2分21秒も差がある。距離にすれば800mぐらい離されている計算だ。とにかくトラック競技のスピードをそのままマラソンに繋げているから、とても日本人が太刀打ちできないようになってしまった。

 ただ、今日の日本人トップ争いは手に汗握る展開だった。一度は脱落したかと思った川内選手が、突如確変し前の2人に追いついたからだ。その後はかつて箱根駅伝で山の神と言われた今井選手とデットヒートを繰り広げた。どちらも厳しい表情だ。抜きつ抜かれつの駆け引き。でも最後は川内選手が振り切った。私は市民ランナー代表の川内選手よりも、今回の震災と原発事故で被災し避難区域になっている南相馬市小高区出身の今井選手に期待していただけに少し残念だ。

 それにしても実業団の選手は練習量でははるかに上のはずなのに、なぜ川内選手に勝てないんだろう。川内選手が特別ということなのか。走っている時の苦悶の表情、それを裏打ちするかのように、ゴール後は精根尽き果てたの如く倒れ込み、医務室行きになる。その全力を出し切った感に感動してしまうのかもしれない。おめでとう、川内選手。(拍手)

 

 

2011年12月 2日 (金)

「浪江町民3割超、帰還条件整っても戻らない」の記事を読んで思うこと

 YOMIURI ONLINEに「浪江町民3割超、帰還条件整っても戻らない」http://bit.ly/rst4Q0という記事が掲載された。町長は「大変ショック」と述べているようだが、これは仕方のないことだ。

 先日、東電は福島原発1号機に関して、解析の結果、圧力容器からほぼ全ての燃料が溶け落ち格納容器底部のコンクリートを侵食しながらも留まっていると発表した。2号機、3号機についてもある程度は溶け落ちていることを認めている。それなのに国は16日には冷温停止状態になったと発表すると言う。あきらかな過小評価ではないかと素人の私でも疑う。

 おそらく避難している人達は政府や東電の発表を固唾をのんで情報収集しているだろう。だけど、この発表を素直に信用できるのか。除染なんてやってみないと分からないし、だいたい、いつ戻れるのか分からないのにそれまでずっと避難生活を続けていられる訳がない。公務員ならいざ知らず、普通の人なら仕事を探して新しい生活を模索するだろう。

 東電の電気を使っている身で大変申し訳ないけれど、個人的には政府、東電が十分な補償を行った上で、少なくとも大熊、双葉、浪江の3町の方々は集団移住あるいは、個別に移住してもらうしかないと思っている。多分、こんなことを書くと不謹慎なんて言われそうだけど、廃炉まで30年も掛るのに、「頑張って下さい」と言う方が酷なのではないだろうか。

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