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2012年2月28日 (火)

「あさま山荘事件」から40年

 今日、2月28日は40年前に起こった「あさま山荘」事件が終結した日だ。私は8歳だったけれど、あの鉄球が振り回されるところや、激しい銃撃戦はよく覚えている。でも、月曜日で学校があったはずなのに覚えているのは、何度も繰り返し見たからなんだろう。

 そして今から十数年前、現場指揮官だった佐々淳行氏の本を読んだのをきっかけに興味を持ち、連合赤軍に関係する書籍や映像に触れることになった。特に山荘に立て籠もった坂口弘死刑囚の「あさま山荘」はかなり読み込んだ。あの日、山荘の中でどんなことが行われていたかが詳細に書かれているからだ。そして、衝撃だったのは、あさま山荘の銃撃戦ではなく、そこに辿り着くまでに行われたリンチ殺人だった。「革命」を標榜する彼らが、何故、仲間を12人も殺めなければならなかったのか、不思議で仕方なかったのだ。

 元々、思想の違っていた革命左派(のちの京浜安保共闘)と赤軍派が合併したところに問題があったのだろう。結局、何度読み返しても理解できなかったが、「総括」という言葉は印象に残った。なぜなら、総括要求された同士は全て亡くなったからだ。逆らえば勿論のこと、正直に話しても許されなかった。そのリンチの凄惨さは恐ろしいの一言に尽きる。山岳アジトにいたメンバーも「次は自分か?」と戦々恐々とした気分だったと推測できる。今のイジメの構造と似ている。リーダーの永田洋子と森恒夫に睨まれたら最後なのだ。

 とても歪んだ構造だったが、それでも生き残ったメンバーが決死の厳冬期裏妙義縦走を成し遂げ、あさま山荘に立て籠もり壮絶な銃撃戦を行った。本来なら人質を盾にとって脱出を試みるのが当然だが、それをしなかったのは、まるで闘うことに意義があったように思えてしまう。これがリーダー達の唱えた「殲滅戦」なのか。40年経った今、彼らの本音をいろいろ聞いてみたい。

 

 

 

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