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2012年10月28日 (日)

「報道の脳死」(烏賀陽弘道著・新潮新書)を読んで思うこと

 先日、読売新聞がiPS細胞の件での誤報を認め関係者を処分した。同様に、共同通信、産経新聞も誤報を認め、各社揃って関係者の処分を行った。素人からすれば、論文の内容は正確に理解できなくても、研究者の素性ぐらい調べられなかったのかと、疑問に感じた。

 今回の誤報だけではなく、陸山会事件や311以降の原発報道は、まるで戦時中の大本営発表のように思えるくらい、似たようなニュース、論調が繰り返された。メディアというのは権力の監視ではないのか?その都度、辟易とした気分になり、このブログでもだいぶ批判した。

 しかし、何故このようなことが起こるのか。漠然と記者クラブ制度が悪いのではないかと感じていたが、烏賀陽さんの書かれた「報道の脳死」を読むと、それが全てではなくもっと根幹部分に問題があることが分かった。

 私は、報道機関は第4の権力、ペンは剣より強し、社会の木鐸等々、素人から見れば、高尚な役割を演ずる機関なのかと思っていた。しかし、この本を読んだ私の解釈としては、結局、報道という名の商品で利益追求を行う単なる企業なのだと再認識したのだった。

 このことを前提に考えれば、大手報道機関が政府の広報機関のごとく振る舞い記者クラブ維持に固執することも、インターネットやSNSを敵対視することも、その理由がよく分かる。

 今は不況で購読者数も広告料も減っているから、コスト削減を第一義とした取材がなされるし、安定的に広告収入の見込まれる政府や電力会社に対しては、及び腰になるのは当たり前だ。また、インターネットやSNSは競合相手となる得るから、ネガティブ情報をこれとばかりに流すのだろう。

 そうだとすると、私が時折、これは報道機関による世論操作、印象操作ではないかと疑っていたことも、実はそんな意図はなくて、単に政府や大手スポンサーを忖度するあまりに導き出されただけなのではないかとさえ思える。また、そんなことだから、あれだけ消費増税を読者に煽っておきながら、自分達だけは軽減してなどという、世間のもの笑いになるようなことを平気で言えるのかもしれない。

 こういう報道の実態に対してどう対応していくかを考えてみると、最終的には様々な角度から情報を入手して自分で判断するしかない。昨今、ナショナリズムを煽るような報道が増えてきた気がする。このまま報道機関が機能しないと、過去の過ちを繰り返すのではないか。これは何としても避けなければならない。これが、この本を読んだ後に、いろいろ思い巡らして行きついたことだった。

 

 

 

 

 

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