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2013年5月 1日 (水)

狭山事件から50年、再審の重い扉は開かれるのだろうか?

 狭山事件発生から50年というニュースを聞いた。恥ずかしながら「狭山事件」については、事件の呼称と無期懲役で服役されていた方が無実を訴え続けているということだけしか知らなかった。事件概要及びその後の経緯はウィキペディアで調べた程度であるが、冤罪かどうかは別として、この事件も司法のあり方にかなり問題があったように思えてならない。

 私は足利事件や村木事件が冤罪だったことを機に、検察や裁判所の問題について関心を持つようになった。そして、昨年秋には東電OL殺人事件のゴビンダ氏も冤罪が確定した。極めて優秀な検察官や裁判官がどうしてこういう間違った行為を行ってしまうのか、その心理についても漠然と分かるようになった。

 基本的には”一度自分達が決めたことはどんなことがあっても押し通す”ということではないのか。とにかくミスが発覚すれば自身の立場は失われる。それを避けようとすれば自ずと辻褄合わせに躍起になるのだろう。

 素人の私が感じる司法の根本的な問題は近代裁判なら当たり前の”推定無罪”が軽んじられていることだ。そして、公平とは思われない3つの事柄がある。1つは判検交流なる検察と裁判所が癒着しているようにみえるシステムがあること。1つは検察側は被告人が有利と思われる証拠は開示する義務がないこと、最後に被告側が証拠申請しても裁判官の裁量で却下できてしまうことだ。

 もちろん、それには当然ちゃんとした理由があって、法律違反をしている訳ではないのだから正当なやり方なのだろう。しかし、実際に冤罪となる事件があって、罪のない人が十数年も自由を奪われているのだ。それなのに何故、素人からみても納得のいかない手法が用いられ続けるか。やはり、ミスは認めたくないということに行きついてしまう。

 今は第3次再審請求が行われている最中のようだが、裁判所、検察、弁護側からなる「3者協議」が行われたり、検察から新たに供述時の録音テープや上申書などの証拠が開示されるなど、今までとは違った流れになっているという。個人的には再審の扉が開かれることを望みたい。また事件で亡くなられた女性のご冥福をお祈りします。

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