« 囲碁の普及について考えてみた。 | トップページ | 嘘つきを容認するようになったらお終い。 »

2013年10月 8日 (火)

【千葉大生殺害 裁判員裁判の死刑破棄 「計画性ない」】(東京新聞)の記事を読んで思うこと。⇒裁判員裁判なんて無意味じゃない?

 【千葉大生殺害 裁判員裁判の死刑破棄 「計画性ない」】(東京新聞)http://bit.ly/1e5l5z9 この記事を読んで真っ先に思ったことは、先例を重視するなら、裁判員裁判なんて無意味だから止めた方が良いということだ。

 もともと裁判員裁判というのは、裁判官の判断だけではなく市井の人間の意見も取り入れようというのが趣旨だったはずだ。この制度が導入される前は、先例主義が強すぎる判決と市民感情があまりにも違い過ぎることが問題になったからではないのか?

 今回だって、裁判員の方々は「死刑」判決を下すにあたって、相当葛藤したはずだ。もちろん、高裁で否定してもらった方が死刑にならなくて済んでホッとしている方もいるかもしれない。だけど、それでも被告の前科や犯行の悲惨さ、同時期に8人に対して行った犯行等々を与して苦渋の決断を行ったのではないのか?

 それに「執行したら取り返しのつかない死刑は厳格な運用を求められることを今回の判決はあらためて示した」東京新聞で解説している記者も頓珍漢というか、裁判所の立場をヨイショした形になっているのは不愉快だ。司法記者クラブで官僚からほめられたいのか?

 この被告に冤罪の可能性があるならともかく、犯行していることは確かではないか。結局、裁判官はこの事件の凶暴性だけを見るのではなく、他の犯行と比較しただけであって、この記者もそれに賛同しているわけだ。これでは市井の人間の感情なんて意味がない。誰だって死刑判決なんて出したくない。わざわざ休暇を取り、自分とは無関係の事件で葛藤する必要性があるのか?それに私には「この被告に更正の余地を残す意味が分からない」

 裁判所がこういう先例主義を貫き、それを記者クラブの人間が後押しする。司法に限らず、行政一般についてもこんなことばかり。もう社会の木鐸なんて言うな。官僚の僕(しもべ)と言え。亡くなられた方のご家族、被害に遭われた方々のご家族はさぞかし憤懣やるかたないだろう。

 私は東京新聞だけは、権力に対して物申すメディアだと思っていたが、今回の件は残念でならない。

 

« 囲碁の普及について考えてみた。 | トップページ | 嘘つきを容認するようになったらお終い。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/219908/58346151

この記事へのトラックバック一覧です: 【千葉大生殺害 裁判員裁判の死刑破棄 「計画性ない」】(東京新聞)の記事を読んで思うこと。⇒裁判員裁判なんて無意味じゃない?:

« 囲碁の普及について考えてみた。 | トップページ | 嘘つきを容認するようになったらお終い。 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ