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2014年3月12日 (水)

福島第一原発1号機の爆発から3年が過ぎて思うこと。

 3年前の今日、福島第一原発の1号機が爆発した。続いて3号機も爆発、2号機は爆発すらしなかったけれど、やはり、壊滅的な状況に陥った。当時、自分はこの事故に対してどう思っていたか?残念ながら、ブログを中断していて書き留めていなかったので、詳細については定かではないが、思い返してみたい。

 確か、3月11日の時点では「原子炉は安全に停止しました。」という発表があり、個人的には「やはり、日本の技術力はこんな大地震にも、津波にも耐えるんだ」なんて思っていた。だけど、「電源喪失」、「冷却不能」等々、訳の分からないことが報道される。なぜなら、その時までは原子力発電所の仕組みなんて全く知らなかったからだ。

 そして、1号機の爆発。確か、枝野官房長官は「爆発的事象」という言葉を使った。おそらくそれが原子力村が使う最初の詭弁だったのかもしれない。あの建屋が吹っ飛んだ映像を見て私は「ああ、これで自分も被曝するし、日本も終わりになるのか」とすら思った。それから、ネットで原子力発電所のことや放射能に関することをいろいろ調べまくったのだった。

 自衛隊の飛行機が、海から水をくみ上げて原子炉にかける。2、3回行っただろうか?素人目に見ても効果があったとは思えない。その後、東京消防庁のハシゴ車が到着したり、大型のコンクリートポンプ車が放水を行うなどしていた。ようやく、これ以上酷い被害は起こらないだろうと感じたのは4月に入ってからだった。

 しかし、今となってはそれも間違いで、相変わらず1日2億4千万ベクレルもの放射能を拡散し続けている。目に見えないから、安心しているだけで、実際は福島第一原発から350㎞も離れている我が家にだって、多少なりとも放射能は降っているのだ。

 皆、もうあの悲惨な出来事は忘れて、前向きに生きたいと思うことは悪いことではない。でも、もう一度、現実を見直さなければいけない。福島県だけで13万人もの人達が避難生活を余儀なくされ、いつ戻れるのか分からないという理不尽な状況が続いているのだ。

 決して忘れることはないけれど、そういう私自身、自らが火の車状態で、福島に行くことも出来ない。それが何とも歯がゆい。人は、こうした災害を教訓にしなければならないのに、この国の為政者達の言動には怒りが治まらない。何が、安全な原発再稼働だ、だ。そんなことを言うなら、福島に遷都してから言え。そう憤るのは自分だけだろうか?

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