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2016年11月29日 (火)

『この世界の片隅に』を観て思うこと(作品HP以上のネタバレなし)

   

私は東日本大震災前は映画を月に2回ぐらい劇場で観ていたが、それ以降は観ていなかった。あの悲劇に際して観る気が起きなかったのと、仕事がハードになり休日は静養していたいと思っていたからだ。

  しかし、『この世界の片隅に』はツイッターのタイムライン(TL)で、その好評がしきりにリツイートされてくるし、映画評論家と呼ばれる方々があまりにも絶賛している。Yahoo映画等のレビューでも高評価が続出しているから、普段は小田原で観ているのに、わざわざ海老名まで観に行った。
 
  TL情報では平日でも満員になっているということなので、上映40分ぐらい前に着いたけど、結局、約150人の箱に8割弱は入っていた。しかも、私と同様、中高年の人が多い。少なくともTVでは宣伝していないのに、平日の午前中で、ここまで人が入るのは珍しい。
  少しウザく感じる上映予告が終わって本編が始まる。知っている音楽が流れる、何となくホンワカとした雰囲気がする。中年になって涙腺が緩くなっているのか、何故か涙が流れてる。映画は広島県呉市の一般人すずさんの日常を淡々と流すのだが、その歴史を知っている私にとっては違和感を覚えるシーンが多々あるのだ。
 
  ただ、今思うに、何故涙が出てきたのかといえば、今も健在だが子供の頃、耳が痛くなるくらい戦時中の話をした両親の影響だろう。広島からは相当離れた地域に住んでいた両親だけど、その話が映像で再現されているような感じがしたからなのかもしれない。
  メチャメチャ感動したっていう気分にはなれないのだが、戦時下の生活ってこういうものなのかっていうことが分かると、今を一生懸命に生きるということの大切さが身に染みる。まして広島だ。当然、辛いシーンもある。だけど、変にBGMを使って、”ここで泣きなさい”なんていうこともない。だから、尚更この戦争の悲惨さが実感できるのか?
  あまり政治的なことをここで書くつもりはないけれど、シリアのアレッポでは今も大規模な空爆で多数の死傷者が出ている。そして、日本は憲法学者の大半が違憲という安保法案を昨年強行で通し、先日、南スーダンPKOで駆けつけ警護(ある意味、交戦権)を付与して、青森の自衛隊員を派遣した。彼らの思想は戦前回帰だ。メディアに煽られた世論調査も非常にムカつく。
  帰ってきて両親に映画の話をした。この作品を観れば、おそらく当時を思い出してしまうだろうから連れていかなかった。高齢者だからトイレも近いし、海老名に行くには小田原より1時間ぐらい多く掛る。それが正しかったかどうか?ただ観たくはないとは言うが、話をしただけで、あの時はどうだった、こうだったという。ひょっとしたら本心では観たいのかもしれない。来年1月には小田原でも上映予定があるのだが、連れていくべきかどうか?
  本編が終わってエンドロール。個人的には放心状態。仕掛けも上手いが、普通なら多くの人が席を立つが、トイレを我慢していただろうと思われる3人以外はスクリーンを観ていた。何だか、そこで嗚咽というか、胸の鼓動が高まるというか、自分でも説明の出来ない感覚に陥った。観終わって8時間経つ今でもその余韻に浸っている。多分、この作品は将来、毎年のようにTVで流されるようになるだろう。いや、そうしなければいけない。ただ、臨場感を味わうには大スクリーン、大音響が必要なことを付け加えておこう。多くの人に観て欲しい作品だ。
 
 
 
 
 

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